褐色細胞腫闘病記 第8回「サプライズ・ケーキ」
「本当に日本で50人しかいないの?」と妹。(※4)
「癌が変なホルモン出すって聞いたことないな」と父。
「こんな珍しい病気にかかっちゃって…誰か親戚にいたのかしら」と母。
「でも切れば治るんだろ? 楽勝じゃね?」と彼氏。
棚沢先生の病気の説明を聞いた後、めいめいに思ったことを私にぶつける。
思っていたより皆、表情に焦りがない。棚沢先生に「深刻そうに話さないで」と強く願っていたからだろうか。
肩透かしを食った気持ちになるが、まあこれでいいんだと私は胸をなでおろす。
でも、この時、動揺を悟られまいとみんな必死で平気な演技をしていたらしい。後から知ったが、棚沢先生はこの時私に伝えていないことを家族と彼氏に話していた。
「この大きさの褐色細胞腫は、日本では初めてかもしれません。最初から転移しているため十中八九、悪性でしょう。手術して摘出しても再発する可能性がとても高いです。そうなった場合、余命はあまり長くないかもしれません。手術中に亡くなる可能性も高いため覚悟しておいてください」
それまでオンナにデレデレするのはオトコのコケンにカカワルと言っていた彼氏が、急に私に優しくなった。重い荷物を私にブーブー言われる前に持ってくれるようになった。
クールでイケメンのオレサマカッコイイだろとぬけぬけと言う彼氏は「謝ったら死」という病名の悪性疾患にかかっていたが、その病気がここへ来て急に鳴りを潜めた。
しかし、そんな彼氏に優しければ優しくされるほど「ああ、これは本当に私の病気は重いんだ」とじりじりと実感が湧いてきていた。
入院の前のデートで「どこでも行きたいところに連れていくよ」と言うので「駅の立ち食いソバを食べたい」と言ったら、なぜかフレンチレストランの前に横付けされた。
違うんだよ本当に二人で立ち食いソバが食べたかったんだよと言いたかったが、これがカッコつけの彼の思いやり精一杯なんだと察して、私はわぁぁ、すごいお店ね素敵ねと笑顔でその店に入る。
あろうことかサプライズでケーキが出た。ロウソクまでついてやがる。や、誕生日やないやん。なんのサプライズや。祝うなや。
それに私がこういうのがとっても苦手だって知ってるじゃない。
今ならわかる、きっと彼はどうしていいかわからなかったんだ。
病人と接すると人はいろいろ考える。
どうするのが最適な接し方か、とってもとっても考える。
こうやって気を遣わせる。みんなどうしていいかわからなくて、空回りして、それでも何かしていないといられなくて、結局自分の考えたことを為すのに精一杯になる。
でも、何もしなくていいのに。寄り添ってくれるだけでいいのに。
でも、私のほうもその言葉をうまく伝えられずに、ただ黙る。笑う。
私はまず、病名がわかったことへの嬉しさがどんなことよりも勝っていた。
日本で何人いようが、稀少病だろうが、悪性だろうがなんだろうが、なんで自分がこんなに具合が悪いのかがわからないで苦しむ日々が終わっただけで、本当に嬉しかった。本当に安堵していた。
正直言うと、一回オペすればもう治ると思っていた。
死が近いという実感もなく、なんの悲愴感もなかった。
早く悪いところをごっそり摘出して、また前のようにバリバリ仕事をしたい。あと半年で結婚するんだもの、元気にならなくては。
ハイハイ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
私は消化器外科の入院病棟の大部屋に入院した。
「初めまして、よろしくお願いします!」
元気よく挨拶する私にうつろな目を見せる入院患者たち。
どうしてそんな陰気臭いんだ、挨拶くらいしてよと思ったが、術後、元気で挨拶できる人などひとりもいないということを我が身で知ったのは、それから間もなくのことだった。
私は生まれて初めての全身麻酔下での手術に臨もうとしていた。
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(※4) 当時はこの説が濃厚でしたが、2018年の褐色細胞腫ガイドライン内では、平成 21 年度に実施された全国疫学調査推定患者数は良性 2,600 例,悪性 320 例であると示されています。
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