褐色細胞腫闘病記 第3回「診断名『運動不足』」
そこは、市内では名医と評判の脳神経外科病院だ。
紹介状を持って行ったので、失神した時の様子は伝わっている。
妙に髪の量が多くそのうえ癖毛のモジャモジャ医師が問診票と私の顔を交互に見る。
「えーっと、こういう頭痛は今まで経験したことはありますか?」
「幼少時から頭痛はありましたが失神したのは初めてです」
モジャ医師が眉間にしわを寄せる。
「う~ん…とりあえず脳の検査をさせてください。まずはCTとMRIですね」
病弱な私ではあったけれど意外にもCTもMRIもその時が初めての経験だったので、人並みに緊張した。
特にMRIのあの無駄にデカい音。なんで開発時に改善できなかったんだろうと不思議で仕方がなかった。今でこそ屁でもないMRI轟音だが、当時の私には窯の中で響き渡るガガガガガという怪音はひたすら恐怖だった。
検査が終わり、診察室に呼ばれる。
きっと私の脳にはとてつもない異常が起こっているはずだ。あれほどの頭痛だ。きっと命に関わる病気に違いない。
ドキドキドキドキ…私はあとどのくらい生きられるのモジャ先生。本当のことを言ってくれや。
「え~っと…」
「はい、先生、正直に言ってください」
「私はね、長年この仕事をしてきて、たくさんの脳を見てきました」
「はい…」 え、そんなに悪いのか。
「三島さんの脳ね、ほっんと理想的♡ こんな健康的な脳にお目にかかったのは初めてです。いやぁ、感動するほどですよ」
・・・はい?
「あの、異常は…」
「これ見てくださいよこの脳の配置バランス。血管も美しい。ああ、ホント理想的。完璧だよ」
いや、そんなうっとりされても・・・。
「心因性のものでしょうかね。その時暑かったとか、ありませんでした?」
心因性であんなに痛くなって失神までするものだろうかと問いかけたかったが、モジャ医師は私の脳の画像にひたすらうっとりしているのでなかなかツッコめない。
それにさぁ、完璧だの美しいとか言うなら脳じゃなくてどうせならもっちょっと外見を褒めてくれよ。
いや、てか、おい、で、結局私の病名なんなんだよ。
「ご心配なら精神科をご紹介しましょうか」
「え、その必要ないです。本当になんともないんでしょうか」
「なんっともないですね。念のため、ほかに何か気になる症状ありますか?」
そう、ここ。ここだ。
ここで家で測った血圧の高値を言っておけばもっと早く確定診断がついたんだ。
でも、その時私はすっかり血圧のことを失念していた。
後年、私はいつもこの場面の自分の愚かさに繰り返し立ち返り、ずっと後悔することになる。
私は今までの不調を回顧する。
「…えーっと、最近みんなに顔色が悪いねって言われることが多いです。いつもいつも暑くて食欲がなくて、あ、そうそう、動悸と手の震えと、めまいもします」
「んーー、更年期にはまだちょっと早いしね、心臓の検査したことありますか?」
実は私の母は特発性肥大型心筋症という難病を患っている。もしかしたら遺伝で私も同じ病気に罹患してしまったのかもしれないと思い立つ。
「もしよかったらR医大の循環器内科の病院に紹介状を書いていただけませんか」内心、これだ! 脳じゃなくて心臓が原因なんだと確信めいた気持ちが湧く。
そして私はR医科大学病院の循環器内科を受診する。
ここは母がお世話になっている病院だ。母の疾患との相関関係も調べてくれるだろう。
対面した循環器内科の医師はまだ若く、福山雅治バリのイケメンだった。
イケメンが弱点の私は貧弱な胸を晒すのに大いに羞恥し、まるで思春期の乙女のように胸元を隠していたが、心臓の医師の前でソレやってもただの診察妨害である。
心臓のエコー検査。血流や心電図検査を経て、医師が病名を告げる。
「三島さん」福山雅治が私をじっと見つめる。私は恥じらう。
「先生、私の病気はなんでしょうか」
心臓の弱い、余命いくばくもないヒロインはイケメン医師の宣告を涙ながらに待ち受ける。
「あー、この心電図ね、" 運動不足 " の典型の波形ですね」
は?
イケメン先生、今なんて言いました?
「もう少し体動かして、筋肉つけてください。鍛えてください。要するに体がなまけてるんでしょうね」
え、余命は? 私、死ぬとかじゃないの?
「体力つけてください。まずはサイクリングとかどうですか。大丈夫です、心配するほどのことではありませんよ」
まあ、確かに職業柄、運動不足に陥りがちではある。体を動かしていないという自覚はじゅうぶんにある私はそういうものなのかな、と自分に言い聞かせる。
後年、この話をすると誰も信じてくれない。
でも、大学病院の医師は私のこれまでの不調を「ただの運動不足」と確かに診断したのだ。薬も出ず、追加検査もしてくれず、確かにこのように診断されたのである。
それからの私は変わった。
この体の不調が「運動」で治るならなんだってやってやる。
取り急ぎ私はエアロビクス教室に入会した。自転車も新調した。車を使うのを極力やめ、自転車を使って出かけるように心掛けた。
そしてある日のこと、エアロビクス教室で私は再び失神した。
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