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褐色細胞腫闘病記 第9回「初めての大手術」

いよいよ手術当日。午前8時。

前日までに剃毛とおヘソの清浄を済ませ、下剤で腸の中を空っぽにする。当日の朝、壁に手をつき看護師にお尻を突き出してグリセリン浣腸をされる。これはさすがに恥ずかしかった。
丁字帯と呼ばれるふんどしを身につけさせられ、後ろボタンの手術衣を着させられ、そして痛い痛い筋肉注射。これは鎮静剤だ。(※5)

ストレッチャーが来て手術室に運ばれる。
うわー、すごいな、ドラマみたいだなとどこか客観視している自分がいる。
手術室には予想よりも遥かに多くの人が待機していた。
看護師、麻酔科医、そして技師もいるのだろうか。みんな忙しそうに手を動かしているのが見える。
ピコンピコンと絶えず鳴りやまない機械音。いくつもの複眼を付けた、まあるい大きなライトが天井から私を見下ろしている。おおお。ますますドラマと一緒やんけ、と思わずキョロキョロしてしまう。

棚沢教授と梶並教授がやってくる。
防護メガネと青色の手術衣、後ろ紐の大きなマスク。肘から直角に曲げた手にはピッタリ密着したベージュの手袋を嵌めている。お、これもドラマと一緒やん、とどんだけ医療ドラマ好きなんだよと思いつつ、私は寝ながら挨拶をする。
「あ、先生、今日はよろしくお願いします」
「やあやあ、三島さん昨夜はよく眠れたぁ?」
イタリアン梶並が軽い口調で聞いてくる。
「はい、眠れました」
「よしっ!  ガンバロウねっ! すぐ終わっちゃうからねっ!」
大きな声で応えてくれる。なんだか気持ちがフっと軽くなる。
棚沢教授が「緊張しないで。大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくれる。私は酸素を付けた口元で一生懸命笑みを返す。

…あれ? 
なんなんだ次々と医師らしき人がやってくるぞ。助手の数にしてはあまりに人数多すぎないか?
しかもなんだか上から見学されてる気がするんだけど。ひええ、あれってみんなもしかして医学生? いったい何人いるんだよ。20人くらいいないか?

「滅多に見られないオペですので学生たちの後学の為、三島さんの手術は学生たちにすべて見学させたいと思います。そして今日はほかの大学病院からも何人かの医師が研究のためオペ室に入っております。よろしいですか?」
…って、この状況で私にNOが言えるとでも?
「はい、わかりました」…って言うしかないやん。ま、別にいいんだけどな。ま、頑張って勉強してくれ。

「はい、では背中から硬膜外麻酔を入れます。これは術後の鎮痛剤として使います。最初ちょっとチクっとします。頑張ってくださいね。」
麻酔科医だろうか、少し高い声で私を励ます。
この処置は術後に痛み止めを流すため、直径1ミリ位の柔らかいプラスチックチューブを背中から留置するものだ。
「横を向いてください、ぐーっと腰を丸めてください」看護師がそっと私の肩を抱く。
「はい、針入りますよ」
いてててててててて!! おいおい、これを打つための麻酔はないのか。
「先生、痛いです」
「わかりました」
おいおい、わからなくてもいい、早くなんとかせんかい。
グリグリグリグリ。いてててててててててててててて!
「はい、終わりました。今度は上を向いてください」
わかったわかった。あおむけですね。あー痛かった。
お、酸素吸入器がデカくなったな。
「はい、三島さん、ゆっくり数を数えましょう」
数? あー、はいはい、いよいよ麻酔ですね。どんな感じなんだろう、全身麻酔って。夢を見たりするのかな。
「1、2、・・・・・・


次の瞬間、私は別の部屋に移動していた。
あれ、麻酔効いてない。焦る。焦る。焦る。
「みしまさーん、わかりますかー?」
棚沢教授の声だ。
「は…い」 あ、あれ? 声が出ない。
「手術、無事終わりましたからね。お疲れさまでした。全部悪いところは摘出しましたからね。うまくいきましたよ」
えっ? 終わったの? うそ。さっき麻酔かけますって言ったばかりじゃない。

…あ、ここはICUか。妙に機械が多いな。暗いし、すごく寒い。それに私、両手に何本点滴されてるんだろう。私の腕から何本もの長い生き物が蠢いているようにも見える。いったい今は何時なんだろう。
看護師が私の心を読んだようにすかさず言う。
「午前9時に開始したオペですが、今、夜の10時30分です。13時間半、お疲れさまでした。今、ご家族呼びますからね」

当時のICUは面会者が入るだけで大変で、手洗い・消毒・ガウンと帽子着用は当たり前。上履きも都度新しいものに履き替えさせられ、中に入る人は事前に申請し許可証をもらい、面会時間もキッチリ8分までと決まっていた。

面会の父と母は、機械につながれ管だらけで横になる私を見て言葉が出ないようだった。
「こうこ良かったな。大変な手術だったらしいって聞いたよ」
父が泣いている。父が泣くのを見たのは後にも先にもこれが初めてだ。
「棚沢先生に術後に説明受けたけど、先生はもうフラフラだったよ。先生もみんな頑張ってくれたんだね。こうこもよく頑張ったね」
母がねぎらってくれるが、正直、私が頑張ったという感じはない。
寝ていたら終わっていた、そんな感じだ。

術創がかなり大きくなると聞いていたが、いったい何針縫ったんだろう。
さっきから痛みが増しているように感じる。そうか、麻酔が完全に切れたら硬膜外麻酔に頼るしかないのか。

全身麻酔は、一言でいうと「無」だ。
完膚無きまでの「無」の世界であった。
夢らしきものなどを見るのではないかとも思っていたが、そんな甘っちょろいものではなかった。
光も音も、そして日常からも、現実の世界からも、何もかもから完全に遮蔽される。本当に、完全無欠な闇である。
おそらく「死」もこんな感じではなかろうか、と思ったりした。

この時のオペで、前から聞かされていた通り、腫瘍化した左副腎と胆嚢、肝臓の5分の1、そして郭清したリンパ節をすべて摘出した。
後から聞いたが、この時の手術中、何度も血圧の乱高下が起こり、そのたびに麻酔科医が血圧をコントロールし、命をつないだそうだ。出血もかなり多く、輸血も必要とした。

その後、ICUでは腫瘍の摘出により急激に下がった血圧をコントロールしなければならなかった。下手すればカテコラミンの急降下によって死をも招いてしまうことがある。
術後の高熱で42度という体温の数値を私は初めて見た。だが、これだけ熱があっても発熱による苦しさはまったくない。なぜなら、熱よりも、その時はもう既に術創の痛みのほうがはるかに勝っていたからである。
それは、今まで経験したことのない、深い、深い、重たい痛みだった。

それから約10日にわたって、壮絶な術後疼痛と私との闘いが始まることになる。



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(※5) この記事は約25年前の手術の様子を書いています。
現在の手術前処置とはかなり違う部分があります。
当時は術前に鎮静剤を筋肉注射して安静にさせるという方法を採用していた病院が多かったようですが、今は「筋肉注射が痛くて手術よりも苦痛だ」という声が多くて取りやめになったそうです。ほっんとうに痛かったんですよこれが(笑)
人としての尊厳を簡単に失う「看護師による浣腸」も今では取りやめになり、また、現在では歩いて手術室に行ける人はストレッチャーは使いません。



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