羽生結弦『GIFT』鑑賞記 ③between K and C
【① ②】
自分の席に座り、何気なく両隣がどんな人かを探る。どうやら二人とも私と同じ「おひとりさま」のようだ。スマホを熱心にいじっている。見るともなしに右隣の人のスマホを見ると、中国語でLINEをしている。おお、中国の方か。まだ若い。20代前半だな。ピンクのセーター、ふわふわで可愛い。なんか親しみやすそうな子だな。でも私、「你好」と「謝謝」くらいしか喋れんぞ。ああ、残念だわ。
左側の彼女のスマホには韓国語が並んでいる。ちょっと羽田美智子に似ているな。美人だ。おっきなプーさんのハンカチを手に握りしめている。30代前半といったところかしら。
おお、アジア3カ国が並んだぞ。さすが国際派羽生結弦。
私は韓国のチョン・ウソンのファンでもあるので、彼の話す言葉が理解できるようになりたくて、3年続けてNHKの韓国語講座を観ている。さらにテキストを買って少しは勉強しているので、ほんの数語だけだが、いくつかの単語を知っている。短い文なら覚えている。だが、周囲に韓国の方がいるわけでもなし、日常生活において韓国語での会話をすることはなかった。
でも、これは絶好の機会ではないか。なにはともあれキッチリ同担、きっと言葉の壁など感じないはず。
よし、これまでの勉強の成果を試してみよう、殻をぶち破れっ!と一瞬思った。が、2秒後に「や、万が一全く通じなかったら恥ずかしい」と一臆し、黙る。固まる。じっと前を見る。お前は上野動物園のハシビロコウかい。
やがて場内アナウンス。今回はマスク必須だが、声出し応援はOKですよと流れた途端、会場中がワッとどよめく。はて、ハシビロコウでも声は出るだろうか。GIFTの応援旗をフリフリ小さく振ってみる。ああ、なんだか恥ずかしい。
さて、どんな演出をするのだろう。なんせあのMIKIKO先生の演出だ。絶対に奇想天外な仕掛けが待っているに違いない。
そして待ちに待ったオープニング。
羽生くんの声が流れる。
【そこに、幸せはありますか。誰かとつながっていますか。心は壊れていませんか。 大丈夫・・・大丈夫。この物語とプログラムたちは、あなたの、味方です。これはあなたへ、あなたの味方の、贈り物・・・】
ああ、この美声。誰もはじかない、誰も撃たない、真綿のように包み込むこの甘やかな声は、不動のハシビロコウでさえ歓喜の舞を踊るはず。ヤバい。唐突にこみ上げる涙。これはアカン。どうしよう、止まらない。ご本人がまだ出てきてないというのに、声だけでこの滂沱の涙はいささか早すぎる。
ドクン、ドクン、ドクン・・・大きな鼓動音が会場内に響き渡る。
さすがに音響のドクンドクンは私みたいな不整脈は打っていないなと余計なことを思いながら、ピシっと居住まいを正す。
オーケストラの音。立ちのぼるストリングスはまるで清らかな水の迸りだ。なんと瑞々しいんだ。
淀みなく響きわたる管楽器たちの音は、馨しい緑と青の色だ。
この広い場所でも音のズレがまったくない。素晴らしい音響技術と圧倒的な演奏技術。これは絶対ただもんではない。や、マジでなんだこれは。素晴らし過ぎる。これはプロ中のプロの演奏だ。どこのオケだろう。
そしてMIKIKO先生のプロジェクションマッピング。彼の輝かしい功績の記録がリンクに投影される。そして、四方から集まる、そして同時に散りゆく光の束。凝りに凝ったスクリーンのまばゆさ。
なんと美しい。なにこれ。なんなんこれ。本当にこれは現実なのか。
次々と私を襲う視覚・聴覚へのアタックに衝撃が止まらない。目の前で繰り広げられる素晴らしい光景に圧倒され、情報が処理しきれない。どういうわけか泣く気もないのに涙が止まらない。まずい。嗚咽も出てきてしまった。
「気がついたら世界があった。息をしていた」
彼が語る彼の物語が、今始まる。
そして、ついに羽生結弦が現れる。
ああ、遠いわ。見えない。あれは、クレーンか。クレーンに載って登場したのか。一面が炎の赤。真横からだとよくわからないが、これはおそらく火の鳥か。氷川きよしか。や違うだろ何言ってんだ。遠くてよく見えないが新しい衣装だな。私の目に映る、数百メートル先にいるのは本当の羽生結弦なんだろうか。
随分長いこと彼の語りが続く。彼が語る、彼自身の葛藤と歴史。
「僕は太陽みたいになりたかった」
彼の中にいる、ふたりの彼の対話が始まる。
月と太陽の物語。えらく抽象的かつ観念的だ。
そうか、このモノローグの時間は次の衣装への着替えと休憩時間。彼にとって必要不可欠、大事な時間にもなるのか。
真横からなので、どうしてもきちんとスクリーンが見えない。隣に掲げられたハイビジョンは小さい。両隣のKoreanとChineseは静かに聞いている。真ん中のJapaneseは嗚咽をこらえるのに必死だ。鼻水もすごい。それになんだかリンクで滑る彼が本物と思えなくなってきた。本当にあれは、生の羽生結弦だろうか。
「ひとりはいやだ」「僕を一人にしないで」「僕は独りだ」と繰り返す彼。
ここで少し違和感を感じる。これだけの人がここにいるのに、なぜそんな悲観的なことばかり言うのだろう。そうか、王者の孤独を言っているのか。
光が強ければ影も濃い、言い古された言葉がよぎる。でも、ひとりじゃないやん。ここに何万人いると思ってるん。
ふと、右横を見ると、中国人の彼女が大あくびをしている。
ん? もしかしたら、日本語がわからないのか。だよな。モノローグに入るとすごく退屈そうだもんな。左隣の彼女を見ると、泣いている。彼女は日本語がわかるのかしら。
モノローグは続く。
右隣の中国人が大きく大きく真上に手を伸ばす。ぎょっとして思わず横を見ると、どうやらヨガのポーズをとっているようだ。おいおい。いくらあなたの右には誰もいないからといって、ここでフィジカルの鍛錬はやめてくれ。
正直に言おう。このあたりから、私の記憶は朧気だ。
あまりの素晴らしい光景に気圧され、私は無意識に情報を遮断しようとしていたのかもしれない。「感動」などという言葉すら薄っぺらに思えた。
何も感じてはいけないんだ、とすら思ってしまうという、なんというか、生まれてこの方一度も感じたことのない未知の感情に、私はずっぷりと呑まれていた。
もしかしたら、これを全てマトモに受け止めたらこの芥ほどのちっぽけな自分など、本当にばらばらに壊れてしまうと感じたのかもしれない。
「ロンカプ」で見事に北京オリンピックのリベンジを果たしたとき、会場は怒涛のスタンディングオベーション。でも、私は立ち上がることすらできなかった。圧倒的な凄さに、羽生結弦の信念と靭さに、ただただ、気圧され続けていた。
目の前で起こったことに何重にもフィルターをかけないと、とてもその場にいられないほどの強烈な刺激であり、見まごうことのない、信じがたい現実に、私は本当に眩暈を覚えていた。
記憶にあるのは、夥しい光の束。
右隣の中国人のヨガのポーズ。
左にいる韓国人の号泣の声。
それにしても、終始、彼の語るモノローグがひたすら悲愴なのが心に引っかかった。
「行かないで。完璧な僕でいるから」
どうしてそんなことを言うの。誰があなたを見捨てるというの。ここに何万人いると思ってるの。いや、ここだけじゃない。世界中に同時配信してる。10万人近くの人たちがみーんな今、あなたを見てるんだよ。
私の心の中には「違う、違う」と彼の言葉のひとつひとつを打ち消す声が現れた。
その時だった。私のいる一塁側の遥か上の方から、年配の女性の声が響いた。
「しないしない、絶対しないする気ない、みてこの観客席!!!人がゴミのようっ!」
私がふと、現実に返った一瞬だった。
オーケストラは東京フィルハーモニーだった。マエストロもコンマスも、名だたる方たちばかり。それとは別に武部聡志バンドがいる。
超一流の人たちがしのぎを削りながら、羽生結弦という一人のアーティストに魅了されているのは明らかだった。
あっという間の2時間半。私はずっと夢うつつだった。もしかしたら、上野のハシビロコウよりも動かなかったかもしれない。
確かに、彼のいる高みには今、誰もいない。
同じ景色を観ている人は誰もいない。
これだけ大勢の人があなたに魅了されていても、あなたしか目に入らない人が大勢いても、あなたの心に真の意味で寄り添えるのは、もしかしたら、この世でたった一人もいないのかもしれない。
これはあくまで私の感想、私の解釈に過ぎないが、彼がもっと、傲岸不遜で、世間一般が言うところの「ナルシスト」だったらよかったんだと思う。
輝かしい経歴を自分自身より前にいつも安置し、引っ提げ、ただひたすら周りにひれ伏すことだけを求めるような人であったなら、これほどの苦悩も孤独もなかったのかもしれない。『GIFT』で流れてきたモノローグは、上から目線の言葉はなにひとつなく「もし僕がそっちに降りていったとしても、僕は君たちに認めてもらえるの」という切実な問いかけだけが残った。
あなたは言った。
「僕もあなたと同じなんだということをわかってほしい」と。
でも、同じなんかじゃないよ。あなたはね、自分でその崇高な高みを望んで、行ったんだよ。それはね、誇っていいこと。もっと胸を張っていいこと。どうかいつも寂しい想いをしないで。あなたはファンの味方なんでしょ。だったら私たちファンも、あなたの味方だよ。
あなたの語った言葉をすべて文字起こししてテキストでじっくり読んだらまた違った感想が残るかもしれない。
もちろん人によって受け止め方が千差万別でいいんだと思う。
『GIFT』は「天才」の意味も持つ言葉だ。
私はあなたの居るところでしか見られない孤独の影を受け取った。
それはきっと、あの場所にいたからこそ受け取れた、大切なまっすぐな思いなんだと思う。
左に座っていた韓国の女性が言った。
「ソンジョハダ…존경하다!!」
おお、なんて言ってるかわかるぞ。"尊い"って意味ね。
私は勇気を出して言った。
「ナド マジャガシ!! 나도 마찬가지!」"私も同じよ"。
途端に相好を崩す彼女。なんだ、もっと早くに声をかければよかった。
右側の中国人はヨガを続けている。さっきからずっと突っ伏して頭を上げない。 もう公演は終わったよ。そう言ってあげたいけど、あいにく中国語はなにひとつしゃべれない。
彼女は膝の上に握りこぶしを両手で作り、おでこをくっつけている。
チャイルドポーズってやつだろうか。いや、よく見ると、泣いているのだ。そうか。そうか。 そっとしておこう。
ああ、やっぱり少しでも中国語を習っておけばよかった、再度そう思いながら、私はゆっくりと席を立った。
④へ続く
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