見出し画像

時間依存と村上春樹

長田弘さんのエッセイを読んでいる。僕は詩や俳句、短歌のことはよくわからないし、正直ものすごく好きだというわけでもないけれど、ふとした時にちょこっとだけ読みたくなる。そんな僕にとって、詩人さんが書いたエッセイは、お手軽に詩の世界を垣間見れるようでとてもありがたい。

『自分の時間へ』と題されたこのエッセイは、時代背景も古いし個人的な内容が多く、僕の言葉で同じことを書いたら「知らねえよ!」と一蹴されてしまいそうなのに、言葉が頭から入って身体中に広がっていくような感覚になるから不思議だ。捻りが少ない読みやすい文章に包まれて、確かな芯が隠されている。ニコニコしていて穏やかなおじいちゃんが昔は敏腕刑事でした、みたいな。


「時間」という言葉から僕が連想するのは、リベンジ夜更かしという言葉だ。僕眠くて夜遅くまで起きていられないので夜更かしとは無縁だが、友人がリベンジ夜更かしそのものの生活をしている。

リベンジ夜更かしとは、日中に忙しくて自分の時間を取れない人が、その日を充実させるために睡眠時間を削ってまで趣味や勉強に時間を充てることだ。大学生だけでなく、子育て世帯でもリベンジ夜更かしを繰り返す人は多いと言われている。

友人の話を聞いていると、すごく時間に縛られているような印象を受ける。「2時間趣味に使うまでは寝ない」とか、「夜更かしが習慣になっているから午前1時より前には寝れない」みたいに。きっと現代人は時間に依存しているのだと思う。



時計を見ない生活をしたことがあるだろうか。やってみるとわかるが、1人で部屋にいると1時間も持たずに時計を気にしてしまう。時間への依存は、あまりに強力すぎて普段は意識できないが、明らかに僕らのすぐそばにある。

こう考えてみると、SNSやスマホ依存とは時間や時計への依存かもしれない。コンテンツにどハマりするにも限度があるが、時間への依存は無限だ。

SNSやスマホに溶かしてしまった時間を振り返って、罪悪感と共に自己破壊の甘美さを感じる。こんな捉え方の方が、僕としてはしっくりくる。逆に、SNSやスマホへの依存を気にしすぎて使う時間を制限したり、自分磨きの一環として効率的な時間の使い方を目指すのも、時間への依存の一形態ではないか。時間への執着の表れとして、効率化という言葉があるように。



僕も日々時間に縛られて生きているわけだけど、小説を読む時間は別だ。物語の世界にお邪魔する時は、こちらの時間ではなくあちら側の時間で世界は進んでいく。僕が人生で一番読んできた作家は誰かと聞かれると、間違いなく村上春樹さんだ。

彼の作品は好き嫌いが相当分かれるらしいが、僕は主人公にいつも共感してしまう。著者の経歴を反映してか、主人公が会社員であることは少ない。無理やりMBTIを当てはめるのは好きじゃないけれど、主人公はきっとINFJだろう。作品によっては主人公の行動や考えが自分とリンクしすぎていて、怖いやら恥ずかしいやらで忙しい。

僕の最近のお気に入りは、『スプートニクの恋人』という本だ。作中の登場人物と自分との年齢差が年々なくなっているからなのか、主人公に共感せずにはいられない。僕の好きな一節はこれだ。

ああ、僕という人間は、こうして基本的にはとくに意味もなく、でも否応なく端末的なエゴを抱えて、生きとしいける多くの非合理で微小で雑多なものの一つとしてここにあるのだ。

村上春樹『スプートニクの恋人』

僕の人生で一番スッと心の中に入ってきた一節。文章の中に自分を再発見する喜びがあるから、読書はやめられない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?