たんこぶ

都内大学生。男。地方出身。INFJ。 日々考えたことを投稿しています。

たんこぶ

都内大学生。男。地方出身。INFJ。 日々考えたことを投稿しています。

マガジン

  • 過去の思考を成仏する

    日常の中でふと気になったことをメモしてきました。 たくさん溜まったので、少しずつ振り返っていきます。

最近の記事

  • 固定された記事

夢とか笑

最近ぼんやりと考えていることがある。時間とお金と人脈とやる気が無限にあったらこんなことやってみたい。現実性も何もなく、夢想に近い内容だから、「夢」と呼ぶにはおこがましい。「笑」でもつけておこう。 やりたいことをひとことで言えば、本を作る仕事だ。でも、ただの出版社ではなく、地域の人が集えるコミュニティプレイスのようなものにしたい。 どんな街につくるか。都会はダメだ。緑に囲まれた、程よい郊外がいい。あと、子育て世代が多い街にオフィスを構えて、子どもたちも集まれる場所になるとい

    • 火にあって炎にないもの

      一年ほど前、友人から無印のアロマキャンドル12個セットをもらった。2種類の香りが6個ずつ入っているのだが、普段キャンドルを使う習慣がないので(当たり前だけど)、全く使いきれずに残っていた。 あれから一年経った今、いよいよ東京にも冬の気配を感じるようになってきたので、重い腰を上げて衣替えをした。その途中で、去年から残っていたアロマキャンドルを発見したのだ。 僕の部屋は北向きなので、ほとんど陽射しが入らない。唯一、今くらいの季節の午後3時過ぎから4時の間だけ、何かに反射してい

      • 褒められると死にたくなる

        先日、大学のゼミで少し多めに発言したら、先生がぼそっと「すばらしい」と言ってくれた。褒められるのはありがたいことだけど、「そんなつもりで発言したんじゃないのに」みたいなモヤモヤした感情で胸が満たされてしまう。 よく「叱るのは個室で、褒めるのはみんなの前で」のようなマネジメント法を目にするけど、褒められて嬉しい人ってそんなに多いのだろうか。僕は、褒められるならせめて個室がいいし、叱られるならみんなの前のほうがいい。 僕が小学校に入る前くらいに、妹が生まれた。当時の感情は覚え

        • 夢と未来、子どもと大人

          大人になるってどういうことだろう。 少し前、『未成年だけどコドモじゃない』という漫画が話題になった。あの題名は高校生のことを指しているから、大学生で20歳の僕は「未成年じゃないしコドモでもない」ということになる。でも、学生の身で自分を大人だと言い切ることには少し抵抗がある。 では、大人とは何か。社会人として働き出したら大人なのか。お酒が飲めれば大人なのか。健康診断の結果を気にし始めたら大人なのか。 僕が思う答えはこうだ。 大人とは、自分の未来を一貫性のあるストーリーと

        • 固定された記事

        マガジン

        • 過去の思考を成仏する
          2本

        記事

          つぶらな瞳の怪獣たち

          ある日の大学での出来事。 空き時間に図書館で作業していて、次の授業のために外に出ると、体験学習らしき子どもたちがクリアファイルを握りしめてうろうろしていた。声かけられるかな、なんてちょっと期待していると、案の定ひとりの男の子に声をかけられた。 「すみません!なんでこの大学に入ったんですか?」 前置きも自己紹介も一切なく、単刀直入な問い。その清々しさときらきらした目にやられて、デコピンを食らった気分になる。眩しすぎる。なんだかその子が、口から火を吹く怪獣に思えてきた。

          つぶらな瞳の怪獣たち

          ガソスタおじに会いにいく。

          モーニングルーティーンを紹介する投稿が、インスタやYoutube上でやたら目につく。「モーニーングルーティーン」というと、女性の方はGRWMと題されるようなメイク動画を想像するかもしれないけれど、男性向けの動画は少し毛色が違う。 朝早く起き、白湯を飲み、散歩に出かけ、瞑想をし、ジャーナルを書き、タンパク質を摂取する。「きつい時こそ、やるべきことをやりましょう」の言葉に象徴されるように、習慣を守ることで可処分時間を増やし、効率的な生き方をする強い人間になる、という内容だ。有名

          ガソスタおじに会いにいく。

          「辛いこともあるけどやっぱり楽しい」はずるい

          僕はイヤフォンが苦手だ。 どうやら僕は耳から情報を撮るのが苦手らしい。音楽を聴く時は、歌詞見ながら聴きたい。教養がないと言われてしまうかもしれないけれど、歌詞がないからかクラシック音楽を聞くのも苦手だ。多分僕は目から情報を取る派の人間なんだろう。 僕の友人で、完全に耳から情報を取る派の人がいる。クラシック音楽を愛好する彼は、歌詞付きの歌も「ドレミ」で聞くらしい。子どもの頃からテレビよりラジオを聴いていて、今でも金曜の夜にやっている渋いおじさまの一人語りラジオを楽しみに一週

          「辛いこともあるけどやっぱり楽しい」はずるい

          片道1時間のさんぽみち

          1人暮らしの僕の家から大学までは、電車だと10分。自転車だと20分。それでも僕は、同じ道のりを片道1時間近くかけて歩く。 きっかけは、早起きしすぎて手持ち無沙汰になったある日、「大学まで歩いて行ってみようかな」なんて考えがぽっと浮かんできたことだ。あの日からもうすぐ1年半が経つ。 「大学まで1時間歩いて来てるんだよね」と話すと、「運動不足なの?」か「定期代ケチってるの?」か「自転車乗らないの?」のいずれかの反応が返ってくる。 確かに毎日往復で2時間歩くとちょっとした運動

          片道1時間のさんぽみち

          月に咲く

          よく言われていることだけど、僕の思考は、僕自身がつくりだしたのではない。社会に、環境によって、僕の思考はつくりだされている。その社会も、慣習の束によってできているのだ。 僕は資本主義かつ民主主義国家である日本で生まれ育ち、風変わりだが愛すべき両親に育てられ、18回の冬を北国で過ごし、今年3回目の冬を東京で迎えようとしている。 本を読むと、文の中に自分を再発見する喜びと驚きがある。悩んで、苦しんで、この感情を誰も理解してくれないだろうなんて思える時も、数十年も100年も前に

          どんぐりころころから始まる喜び

          今日家を出ると、うっすらと白い靄がかかっていた。曇りより曇天のほうが似合う、そんな空模様。「どん」天、「どん」詰まり、「どん」底…。「どん」という音の響きからは、どこか圧迫的で不穏な雰囲気を感じる。 その不穏さに不安を感じる日もあるけれど、曇りの日にもいいことがある。昼と夜の境目が曖昧なことだ。 最近は特に陽が短くなってきて、5時前にはもう真っ暗になってしまう。しかも都会では、陽が沈んだ後に山際をほんのりと白く染める、余韻の明るさを感じることはできない。陽が沈んだら、もう

          どんぐりころころから始まる喜び

          こだわりと蛙化

          先日、知り合いの方と50年ほど続く老舗の喫茶店に行った。この店は老夫婦が切り盛りしていて、「珈琲専門店」という謳い文句に違わず、世界各国の貴重なコーヒーを、見るからに高そうな有田焼のカップに注いで提供してくれる。値段もチェーン店の3、4倍くらいするが、雑味や苦味がなくて本当に飲みやすい。 焙煎も、開業以来使い続けている鍋で、少量ずつ丁寧に作業しているそうだ。こだわりの空間、こだわりの豆、こだわりの淹れ方で出来上がる至高の一杯。穏やかで話好きなおじいさん、といった印象の店主だ

          こだわりと蛙化

          ゴールのないマラソンは地獄か?

          愛と余裕と優しさを忘れずに生きていくにはどうしたらいいのだろうか。 人から見た客観的な幸福が「豊かさ」だとすると、主観的な幸福とは、何気ない日常の中の何気ない風景を「幸せ」だと名づけることだと思う。そのためには、愛と余裕と優しさが不可欠だと思うのだ。 主観的な幸福は人それぞれだから、その度合いを比較することにはあまり意味がないかもしれない。けれどあえて「幸せ」というものをはかるとき、その人の時間への価値観が参考になる気がしている。 つまり「自分は時間に余裕がある」と思え

          ゴールのないマラソンは地獄か?

          大切にしたい人たち

          友人たちと遊びに行く予定ができた。この2人とは2ヶ月に1回くらい集まるのだが、昼過ぎからカラオケに行って、ひとしきり楽しんだら夜ご飯の店を求めて街を歩き回り、結局ファミレスに入るという流れを毎回繰り返している。 でも今回は、誕生日が近い友人のために、僕ともう1人で彼の誕生日プレゼントを買いに行くというミッションがある。男が男に渡すプレゼントって毎回しょうもないもの(ヨーヨー10個とかどでかい犬のぬいぐるみとか)になってしまうのだけれど、やりすぎると恨みが自分の誕生日に降りか

          大切にしたい人たち

          『時間どろぼう』

          子どもの頃の記憶が急に蘇ってくることはないだろうか。そんな記憶はたいてい意味不明かつ断片的で、僕の場合は帽子についたアリを母にとってもらった記憶とか、保育園の送迎バスが雪にはまって動けなくなった時の記憶なんかが蘇ってきたことがある。 昨日の朝、目を覚ました瞬間に、そんなはるかな記憶がまたひとつ蘇ってきた。小学生の頃、暇を持て余した夏休みの昼下がりに何度も繰り返し読んだ本。それはミヒャエル・エンデ『モモ』だった。だいたいこんなはなし。 子どもの世界ってすごく狭い。ご多分に漏

          『時間どろぼう』

          雨の日に抱かれて考えること

          10月18日、曇りっぽい雨(または雨っぽい曇り) 今日の雨は不快じゃない。もちろん湿度が高いのは頂けないし、僕は気圧病がちなのでちょっと頭が痛むけれど、白っぽい雲からしとしと降り注ぐ雨はなんだか遠慮がちだ。 「私がいたらひょっとして迷惑かな?でもしょうがないんです。雨を降らさないわけにはいかないから。ちょびっとだけ我慢してくださいね。」なんて声が聞こえてきそうだ。たまに訪れるいきなりステーキの初老の店員さんを連想してしまう。 (ようこそお越しくださいました。こちらの席な

          雨の日に抱かれて考えること

          行雲流水

          昔から、「一生懸命」が苦手だった。興味を持てないことに向き合うまじめさは持ち合わせていないし、自分なりに精一杯やっているつもりでも「やる気出せよ」と言われたりする。大学に入ると「飄々としてて羨ましい」なんて言われることもあったけど、僕はただ生きてるだけなのだ。パッションは弱めらしい。 そんな僕が編み出した人生訓は、「世の中は自分の努力や意志と関係なく回っている」だ。なんとなくやるべきことを把握しつつ、もし頑張れなかったりできなかったのなら、それは僕がやるべきでなかったことだ