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志賀直哉の『網走まで』を読む

✳️ 短い文章

📌短い文章でわかりやすく書く。

ブログの書き方講座・初級編には必ず出てくるフレーズ。

日本を代表する作家・志賀直哉の小説は一つの文章が短い。
それでいて、読みやすく、イメージしやすい。
まるで、ブログの書き方のお手本のようです。

ブログ作文教室の教材として最適な小説が、短編『網走まで』
明治41年、志賀直哉が26歳の時の作品です。
有名な『白樺』の創刊号に掲載されました。

志賀直哉は写実の名手。
📌写実とは「あるがままを写し取る」書き方。
しかし、これはとても難しいのです。

例えば(これは私の即興です)

机の上に箱があります。

ではまったくイメージがわきませんね。

居間の中央には木製の大きなテーブルが置かれている。テーブルの中央に、誰が置いたのか、高さが30センチくらいの真四角な箱があり、側面には暗い波模様が描かれている。窓から差し込む西陽がもう少しで箱に届く。

このように細かく描写すると、雰囲気が出てきます。
まったくの即興ですが、丁寧に細かく書くと不思議な感覚になります。

📌志賀直哉の描写はとてもわかりやすいのです。


✳️ 写実は芸術か?

みなさん、どう思いますか?
このようなただただ物事を見たままを書くことで、芸術が成り立つでしょうか?
はっきり言って面白いでしょうか。

テーブルの上の真四角な箱の続き……

妙子は、その箱を見て急に悲しくなり「誰でもいいから、ここに来てよ」と思った。

写実ではこうは書かないのです。

悲しくとか、思ったとか、書かないのです。

📌「物に語らせる」のです。

前に書いた描写だけの方が、不思議な感覚を感じませんか?
妙子さんの「悲しさは」、ちょっと強すぎませんか?
物に語らせた方が、柔らかいけど、微妙に深くないですか?

そうなんですね。

ですから、ある場面を切り取った写実はそれだけで、叙情を感じることができるのです。


✳️ 正岡子規の短歌

正岡子規の短歌に

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

があります。

見たままをただ描いただけです。
正岡子規はこの短歌を作った時には肺結核で寝たきりでした。
そのことを考えると、この短歌から深い心を感じます。

もし、畳にとどいていたら「とどいている」と書いたと思います。
とどいているのに、とどかなかったとは書かない。
これが写実です。

若山牧水の短歌に

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

これは写実のようで写実ではありません。
「かなしからずや」は感情です。

📌志賀直哉だったらこうは書かないでしょう。


✳️ 『網走まで』の書き方

『網走まで』の冒頭の場面を見てみましょう。

鈴が鳴つて、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立つた。鋏の音が繁く聞え出す。改札口の手摺へつかへた手荷物を口を歪めて引つぱる人や、本流から食み出して無理に復、還らうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。
 巡査が厭な眼つきで改札人の背後から客の一人々々を見て居る。此処を辛うじて出た人々はプラットフォームを小走りに急いで、駅夫等の「先が空いています、先が空いています」と叫ぶのも聞かずに、吾れ先きと手短な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。
 先の客車は案の定すいてゐた。自分は一番先の車の一番後の一 ト間に入つた。

短い文章がリズムを作り、読みやすい。

イメージも浮かぶ。自分(主人公)の動き、急く気持ちまで感じることができます。

これが志賀直哉なんだ。

✳️ 書かなければならない重要な点

ところが……

書かなければならない重要な点があります。
前の文章の後に次の文章が続きます。

「此方へいらつしやい。こちらへ」と戸を開けて待つて居る。所へ、二十六七の色の白い、髪の毛の少い女の人が、一人をおぶひ、一人の手を曳いて入つて来た。汽車は直ぐ出た。

そして、有名な子連れの女性との会話は次のように描かれています。

小時して自分は、
 「どちら迄おいでですか」と訊いた。
 「北海道で御座います。📌網走とか申す所ださうで、大変遠くて不便な所ださうです」
 「何の国になつてますかしら?」
 「北見だとか申しました」
 「そりや大変だ。五日はどうしても、かかりませう」
 「通して参りましても、一週間かかるさうで御座います」

実は小説の中で「網走」の地名が出てくるのは、ここだけです。

ここでみなさんに質問があります。

この子連れの女性はなぜ「網走」に行くことになったのでしょう。

1、受刑者として網走刑務所に居る夫に会いに行く。夫はまだ赤ちゃんの顔を見たことがない。
2、網走という場所をよく知らず、人から「いい仕事がある」と勧められて網走に行く。
3、どこに行くあてもないのだが、網走という名が浮かんだので、とりあえず答えた。
4、写実とは目の前のことそのままではなく、創作でもいい。だから実際はこの女性は「網走に行く」とは言わなかった。作者の想像だ。


実は、この『網走まで』は

📌東北線の列車で出会った母と子の様子に、作者の想像を加えた作品

だと言われています。

つまり、問題の答えは「4」だったのです。

ここで大いに疑問があります。

📌「それじゃ、写実じゃないじゃないか。空想じゃないか!」

そうなんです。

憤慨するのは当たり前です。

📌しかし、ここに文学の奥深さがあります。

真実とはなにか?
芸術とは何か?
私とは誰……?



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