ブレヒトの戯曲『「肝っ玉おっ母とその子供たち』を読む。
戯曲は独特な文学です。
小説も映画になるので、映像として見ることができます。しかし、戯曲は舞台になります。戯曲は舞台のために書かれているのです。その意味では戯曲ほど行間を読む必要のある文学はないでしょう。その行間の向こうに演技する人たちの表情や仕草が見えるのです。
舞台には映画と違って奥行きがあります。立体であり、空間があります。下手(客席から見て左)、上手(客席から見て右)、上や下、ステージの奥や手前があります。
舞台の真ん中に、二人の兵士が立っています。
このあたりの若者はみんな戦争で死んでしまいました。二人は兵士を集める命令を受けています。
一人でも連れて来ないと、ひどい目にあわされます。
下手の奥から幌が付いた大きな車がゆっくりと現れ出てきます。
若い二人の青年が曳き、母と娘が乗っています。
この家族は兵士たちに日用品や酒を売る商売をしています。幌が付いた大きな車の中には商品がたくさん入っているんです。戦争になればこの家族の商売は繁盛するのです。
「さあ、肉はいらんかね〜、新しい靴があるよ〜、酒だってあるよ〜」
「あそこに、若い男がいるぞ!」
兵士は母親に「息子を出せ!」と詰め寄り、青年に「兵士になるべきだ!」と説得します。
「お前たちは戦争があるから商売が成り立っているんだろう。息子たちを兵士として送り出すのは当たり前だ」
「いやいや、私たち家族はこうしなければ生きていけないのです。世の中が平和であればこのような商売などしなくてもよいのです」
「平和な時なんかあるものか!いつも戦争をやっているじゃないか。戦争は悲惨だ。お前の息子も命を落とすことがあるかもしれない。だがな、この戦争は宗教のための戦争だ。お前たちの息子は神の兵士なのだ。こんな名誉なことはない!」
母親は必死に息子を引き止めますが、ついに長男は連れ去られてしまいます。
この戯曲は十七世紀のヨーロッパの物語です。三十年戦争という、長い長い戦争がありました。カトリック教徒とプロテスタント教徒の戦いです。ですからお互いの神のための戦争です。悲惨でした。休戦してもすぐにまた戦いが始まりました。人々が虐殺され、逃げ回り、裏切り、買収し、売り売られ、ありとあらゆる悪の集合体それが戦争なのです。
「肝っ玉おっ母」は、そんな戦争の中で子供たちを守るため、強く生き抜いていきます。
この舞台では「反戦!」と声高に叫ぶ場面はありません。肝っ玉おっ母その子供たちの生活が、その生涯が、そして母親の愛が描かれているだけです。
今年八十五歳になる仲代達矢が、昨年(2017年)から三十年ぶりに、このブレストの『肝っ玉おっ母とその子供たち』の「肝っ玉おっ母」の役を演じています。「これが最後のつもりで」舞台に立っています。幌がついた大きな車を曳いています。
それくらい、この戯曲(舞台)は世界に知られているのです。
とても良い戯曲を読ませていただきました。
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