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大学の講義で聞いた話を振り返る(河川編)
どうも、丹治です。
表題の通り、大学時代に受けた講義の文字起こしです。資料をそのまま捨てるのもアレかなと思い、ここに遺します。今回のテーマは河川。
悲しいことにこのシリーズの❤️の推される数が少ないです。ワインよりも狭いコア中のコアな話をしているので、仕方ないのかなと思いつつ。。。歴史はxy軸の学問ですが、地理はxyz軸の学問であり、勉強するだけで人生がより豊かになる学問だよなと常々思っています。ただ、その勉強している時間を別の勉強の時間に当てたらまた別の幅でできていいかもですが。
一番ダメなのはつまらないから勉強しないというスタンスの人。つまらない人間にならないために勉強するんです。
川と日本
川と地名
「天災」と聞くと台風、自身、落雷などが浮かびますが、昔の日本においては洪水も身近な天災の1つでした。もちろん今でも稀に洪水はありますが、河川の氾濫がニュースになるのはほとんどないレベルだと思います。しかし、昔は氾濫は当たり前に起こっており、それは地名や伝承などによって言い伝えられております。
昔の地名は地方に行くほど残っており、その土地の特徴をしっかり表しています。私の地元の地名を例に出しましょう。私の地元は関東平野の端っこであり、丘陵と形容したりするのですが、地名は本当の姿を暗示してくれます。
大谷沢という土地は昔は川が流れており谷の部分だったかもしれません。谷津は低湿地を指す言葉ですので、洪水が発生したらびしょびしょになっていたでしょう。蛇崩は土砂崩れ(鉄砲水)が多かった土地。埼玉県川島町は川に囲まれて島のように見えたことに由来しています。
よく地名に水が関連している場所に家を建ててはいけない、という話を聞くと思います。それが↑に記載していることで、その土地の特徴は地名に反映されているのです。余談ですが東京にある光が丘は丘ではないのは有名な話で、キラキラ地名はそのような歴史をぶっ壊しているので信用しないこと。
雑学ですが、フランスのボルドー左岸は隆起と河岸段丘によってできた土地であり、格付けシャトーの1つ、シャトー・カマンサックの名前の由来は水の道です。
川と神社
神社と洪水が深い関係があると聞いて納得できますでしょうか?多神教文化の日本では雨乞いのために神社で祈ったり、逆に、河川の氾濫は神が暴れているものとして氾濫を止めるために神社で祈ることもありました。
神社や祠というものは面白いことに小高い土地や森に囲まれた空間に現存していることが多いです。これは神仏融合であったり法に起因してそこしか残っていなかった可能性はありますが、地図を広げてみると洪水とは無縁の場所に建てられています。
日本の河川と欧米の河川
都市作りにおいて、河川に対してのアプローチは日本と欧米では大きく異なります。例えばパリはセーヌ川が都市を割るように流れ、ブダペストも同様です。一方で日本の都市は川に対し背を向けたりと寄り添った作りをしていません。
この理由のひとつとして、勾配が挙げられます。長大でゆっくり流れる欧米の河川と比較して、日本の河川は短路で急勾配で急流です。そんな日本の河川は平野を滑るように流れ、結果、洪水しては流路を変更しを繰り返し、現在の広大な後背湿地(自然堤防や砂州などの背後にできる低湿地で、洪水時に河川から溢れた水が滞水して軟弱な地盤を形成したもの)を生み出しました。
極端な話に聞こえるかもですが、平野を流れる昔の日本の河川は豪雨のたびに河川の位置が変わっていたのです。今では洪水とは無縁と思っている場所に水に関する地名が付けられている場合は伏流水の可能性のほか、このような背景も考えることができるのも地理の良いところです。
1つ余談ですが、昔の京都の都市は川の氾濫を利用して都市全体を洗い流して疫病の洗浄行っていたとか。
川と生活
川と生活圏
先ほどの神社のように、昔の日本人は防ぐことのできない天災を受けにくい場所に集落を作りました。それは山あいであったり、自然堤防であったり、丘であったりです。
今でこそ川の近くに住宅はありますが、昔は建てても水に流されるのが関の山です。そのため、河川の近くには水田が、自然堤防や水はけの良い土地に畑を耕し治水技術が向上するまで自然と共生していました。
川と利水
瀬戸内の平野には溜池が多く存在するという話を聞いたことがあるかもしれません。その理由として、降水量が少ないからと言われますが、正直瀬戸内より降水量が低い地域は他にもあり、そこで溜池があるか?と言われるとそうではないです。となると、他に理由があるとも考えられます。
瀬戸内に溜池が多く存在する理由はその土地の地形条件を含めた自然環境の中から生まれたものです。瀬戸内地方は古代から稲作が行われていた地域の1つでした。高度な稲作技術を持ち合わせていなかった古代においては、現代のように大きな川の近く(沖積平野一面)に展開していたわけではなく、小規模な山間の平野や下流域に分布していました。→洪水被害が出にくい場所
瀬戸内の平野は短路の河川であったことから関東平野のような洪水被害は比較的少なかった一方で、稲作をするのに十分な流量を確保できない特徴がありました。そこで、必要な水量を確保するために溜池技術が発達し、用水管理をしていった、とのことです。
川と都市
現代の日本の都市は川と密接に関わった場所が多いことから、水の都と呼ばれた都市も少なくはありません。ベネチアを思い浮かべるとわかるように、現代では車が代替となったものの、昔は水路による運搬は効率の良い運送手段の1つでした。
江戸も水の都と呼ばれる都市の1つです。日本橋、京橋周辺は江戸湾と隅田川、神田川などの河川とそれを結ぶ用水路が張り巡らされ運河網が形成されておりました。そして、その運河網を利用した運搬が常日頃から行われていました。
現代の東京では不要になってしまったこのような運河ですが、地図をみたりで散歩したりした際にふとなんでこんなところにこんなものがあるんだろう?と思ったときは当時の人の営みや文化、気候などを思い浮かべるとハッと気づく体験があるかもしれませんね。
以上。