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大阪市内が空襲で壊滅したことはなぜ隠されていたか【後編】
大阪市内が、アジア最大の軍需工場と共に空襲で丸焼けになっていたこと。
それが戦後、ほとんど話題になっていないこと。
このシリーズは、大阪の地面から湧いてきた亡霊たちが書け、書け、というから始めたんですが、ここに至って亡霊たちが分裂しています。
一派は金持ち派。黙っときなはれ。あんた中国美術品好きやろ。一個ぐらいあげまっせ。私が北浜、船場あたりを歩いていると声をかけてきます。お、亡霊なってもええもん着てんな。
一派は貧乏派。つまり砲兵工廠などで働いていて空襲で焼き殺された。戦後、その元砲兵工廠だった国有地の上にバブルの地上げを狙ってガンガン利権ビルが建てられた。その地面の下に今も押し込められている人々。
後者の彼らは寡黙ですが、OBP(砲兵工廠)の跡地のビルの高層階でよる遅くまで残業していると、窓ガラスにそっと映るそう。
私の肩を後ろから叩いたり、そっと資料を持ってきてくれたりします。
イメージとしてはカオナシ?
今回は後者の亡霊の方々の肩を持ちたい。
実は軍需産業で伸びた明治以後の日本企業
技術は……、
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