映画「花束みたいな恋をした」|相手に期待しはじめたら終わりの始まり
ネトフリ見放題が終わりかけていたのでちょっと前に視聴.
時間がたったので,改めて自分の感想をまとめてみることにする.
見終わってから知ったけど,勿忘って別に主題歌ってわけではないのね.
ざっくり所感
観ている側が共感できるような工夫が散りばめられている作品だと感じた.現実に存在する作家や漫画,あらゆるコンテンツをモチーフとして混ぜることで,自分たちの世界のどこかに2人が生活していたんだな~って気持ちにさせてくれるとても好きな演出だった.
いわゆるメタっぽい演出って容量用法を守らないとくっそ冷めちゃうけど,上手に使うことで没入感バク上げしてくれるんだね.
素敵すぎる出会い方から別れまで一連の流れがとっても丁寧かつどこか体験したことがあるかのような気分にさせてくれるので,観ていて楽しかったけどいい意味で苦しくなるシーンもたくさんある素敵な映画だった.
好きなものの優先順位はそりゃ変わる
運命的な出会いをして幸せな時間を過ごしていた2人だったが,麦くんが仕事を始めるようになってから,2人の関係性はギクシャクしていった.仕事に邁進するに連れて,今まで大好きだったカルチャーの優先順位が下がっていく麦くんを観て少しずつ心が離れていく様子が苦しかった~
観ててちょっと引っかかったのは,絹ちゃんは何故恋人のすきなものの優先順位が一時的にでも変化することが理解できないのだろうということだ.
誰だって人生における優先順位が変わる時期はある.仕事が忙しいときに趣味への時間が少なくなるのは仕方ないし,心に楽しむ余裕がないときだってあるでしょう.
でもそれは,それまで好きだったものが嫌いになったということとイコールではないだろう!!!なんで分かってやんねぇんだよ!!!ってなってた.でも絹ちゃんにとってのカルチャーの位置づけを考えてみると少しずつ理解できていった・・・
カルチャー≒両親へのアンチテーゼ?
絹ちゃんにとってカルチャーとは,単にニッチなものや自分だけがこっそり知っている物を楽しむ趣味としての一面に加えて,メジャーの流れを主導的に作っていくということ仕事にしている両親に対するアンチテーゼのような位置づけとなっているのではないかと考えた.
大手広告代理店はある意味,世の中のムーブメントを作る仕事とも言える.それまでの世界になかった価値観や良い悪いを決定する物差しを提供することによって,商品の新たな価値を創出し,販売を促進することがお仕事だ.
つまり絹ちゃんのような自分の世界を構築してその中で慎ましく楽しく行きていく考え方とは真逆であり相容れないものなのだ.
そして,そんな両親は真面目に勉強する妹のことを褒め.よくわからないカルチャー好きと同棲している娘を説得しにわざわざ2人で家に乗り込んでくる.これは嫌いになるしか無い.し,カルチャーを人生の優先順位の1番にし続けるのも当然だろう.なぜなら,絹ちゃんにとってカルチャーは趣味でもあり,両親へ自分のポジションを表明するための大事な大事な宝物だからだ.
共有できる唯一の人だと思ってたのに・・・
もし,そんな時,自分だけの世界を共有できる相手が出てきたらどう思うか,嬉しいに決まっている.これまで自分だけが知っていると思っていた世界の素晴らしさを共有できる相手なんとそうそういない.
きっと気が合うし,好きになってしまうだろう.それまで一人で完結していた楽しさの上限を超えてしまう.それはとても素晴らしいことだし,それこそ誰かと仲良くなったり恋愛としたりする多くの理由の一つだろう.
そんな彼女だからこそ,麦くんが仕事に邁進して少しずつカルチャーから離れていくことが耐えられない.メジャーを歩いていく人たちが大好きな仕事術の本を読み,小説から遠ざかっていく様子が耐えられないのだ.
相手に期待した瞬間が終わりの始まり.自分の予測を外れた行動が許せなくなる.自分の物差しが唯一だと疑うことなく相手を評価し,いつの間にか見下し,早々と決めつけてしまう.なんという悲劇だ・・・悲しいね;;
そんな2人が最後の別れ方がジメジメしてなくて,どこかほのぼのとしているような感じなのが却ってリアルと言うか,この2人だったらそんな感じで分かれそうだな~ってなれたのも良かった.いい映画だった.
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