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【読書メモ】「能力」の生きづらさをほぐす


なんとなく、「能力」について原稿を書かなければならなくなっている気がしてきたところ(曖昧)、「ほしいものリスト積読」(※)になっていた本書をポチっと購読しました。
いや~、市役所で管理職していた時に読みたかった。

やっぱり要らなかった「クリエイティブな人材」

本書は、大手企業の終活の際には役員面接時に「君はすばらしい」と称揚されまくったのに、入社2年で「役立たず」扱いされた24歳の息子に対し、数年前にがんで亡くなったはずの”組織開発コンサルタント”にして教育社会学を修めた母親(筆者)が夢枕に現れ、現在の世の中で求められる「能力」とは何かについて対談を繰り広げる、という構成です。

息子本人の能力は2年やそこらで激変するはずがないのに、どうして「君はすばらしい」に暴騰し、「役立たず」に暴落するのか。それは、能力が属人的な要素ではなく、すぐれて関係性に依拠するものだから…というお話。
いろいろと、身につまされるところがあ
自営業で弁護士していたらわかりにくかったんですが、組織人を経由した今なら刺さる。とても刺さる。
就職、転職活動市場においては、表向き個性的でクリエイティブな人材が求められながら、実際働き始めてみると、空気を読めないと話にならない、なんてことはよくあるんですよね。その象徴的な出来事として、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの改革があげられます。学生の自主性を尊重し、学科もなく、何年生で何を勉強してもよい、という、めちゃくちゃ自由なカリキュラム編成にして、当時の企業採用からも大注目を浴びていた・・・のに、開学17年後の2007年には、普通のカリキュラム編成に戻してしまった、というエピソードでした。
個性的な学生を多く輩出し、企業も当初はそれを歓迎していたのに、割と早い段階で卒業生が短期離職しているだとか、しまいには就職率が激減したとか、企業の「求める人材像」も「個性的・創造的」から「協調性」重視へ揺り戻しが来た、とかで結局協調性なんかーい!という身もふたもないお話でした。
それでも、多分昔も今も、表向きは「求む、イエスマン!」などと言いながら求人活動をしている企業はあまりないと思うのですが、結局は「協調性」という部分がなんとも日本らしいというか、なんというか。
しかし、他方で「業績の良い企業」の条件はというと、組織風土、そしてその組織風土を醸成するのは、トップのリーダーシップ・・・というわけで、最近のビジネス書の本棚にはリーダーシップに関する本が山ほど並んでいます。私も買った・・・買ったことあるよ・・・
すると、今の企業で求められている人材とは、「革新的なリーダーシップを発揮して組織風土をポジティブに維持しつつも協調性重視で周囲と軋轢を生まない人」という、ムリゲー感ハンパない感じになりますよね。
でも、こういう神ってる人材を見つけるために、人材開発業界でいろいろなパラメータを開発し、適性テストを実施し、やれあれが足りない、これが足りないと指摘して、従業員は追い込まれていく・・・とのことですが、民間ってそうなんですか? こわいなぁ。私は、労働安全衛生法のストレスチェックくらいしか受けたことないわ。
でも、その人が、外から「能力がある」と見えるかどうかは、その人の絶対的能力の依るものではなく、周囲の環境次第の相対的なもの、と指摘します。「こっちの部署ではうまいこといっていたのに、異動した瞬間にがたがたに崩れた」という場面は随所で見られること。労務管理上の課題が生じたときに、「一見できていない方」の個人に帰責する考え方は、管理する側にとっては自分では何もしなくていいので都合がいいために、どうしてもそっちへ流れて行ってしまいます。
これは、「難病と就労」を考える際にいつもぶつかる壁です。難病は、どうしても「労働時間」を人並みに満たせないケースが多い点が、通常の障害者就労と異なる点です。従業員として最低限の仕事をこなすために「とりあえず出社する」ことを求めると、労働者たる最低限の要素を満たさない(≒能力がない)ということで労働力としてカウントされません。こんな時代なので、毎日毎日特定の場所へ身体を移動させなくても、自宅から発揮できる価値はいくらでも創造できそうなのですが、今のところ「出勤」を前提とする雇用が大半なので、その能力を眠らせています。
なんとなく、「医学モデル(機能障害の存在を、その人個人の問題すること。)」と「社会モデル(障害が存在する責任は社会の側にある、とする考え方。)」の話に似ていますね。
会社に出勤できない人も含めて、一人ひとりの得意(能力)の解像度をあげ、評価し、適材適所となるような環境調整を行えれば理想です。

対象読者は「管理職」

しかし、いくら「環境次第であなたの能力は花開く」と言われても、個々の労働者は自分の環境をいじる裁量を与えられていません。本書も、最後は何となく明日から仕事へ行く気を取り戻している長男ですが、明日も「お前は能力が足りない」と言ってくる上司が会社にいることに変わりはありません。労働者にとっては、「能力がないといわれても自分のせいではない」という道しるべにはなっても、上司や経営側がそういう気分にならないとどうしようもありません。そうすると、本書は、多少なりとも組織の環境を変える裁量を持つ管理職が、まず読まなければならないでしょう。
たぶん、1990年代、企業は「個性的かつ創造力のある人材」を求めたのはいいものの、実際に「個性的かつ創造力のある人材」がやってきたら、それを適切に評価できる能力がなかったんでしょうね。だから、「やっぱり協調性♡」と揺り戻したんだよっ(# ゚Д゚)

一時期私もガチの管理職をしていたことがあります。民間のインハウスであればまた違いますが、少なくとも公的機関にインハウスで弁護士が入る場合、一般的にライン上にがっちり位置付けられて管理職業務をすることはほぼありません。ですので、私にとっても未経験のことばかりでした。「管理した」経験はもちろんのこと、「管理された経験」もほとんどないんでね。弁護士はね。
これがまた管理職の視点から「能力」の問題を考えると、一味違った感想を持ちます。どうしたって、コントロール可能性がある方がいいに決まっているんですよ。あと、人間って、無防備に3人集まれば大なり小なりハラスメント関係が生まれるという現象。これらをストレスなく調整しつつ、すべての職員の能力を最大限発揮してもらう、って、言うほど簡単ではありませんでした。一瞬でも気を抜くと空中分解してしまいそうな危うさの中、自分の専門性である弁護士業務はほっぽり出して、この調整に全振りしないとチームが持たない。だから、一時期は組織論やリーダーシップの本ばっかり読んでいたのでした。
そうすると、全職員の能力値を数値化し、アセスメントし、相性をAI判定してもらえるものなら飛びついたでしょう(実際そんなやり方で人材評価していませんでしたけれど)。
なので、私は、一人の難病者としては、「体力はない、しかし、できることを見て!」という気持ちですが、一人の管理職としては、出社ままならない人、つまり直接会う機会の限られる人の適性を見抜き、適所を探し、活躍できるよう環境調整するのは並大抵のことではないな、と頭を抱えるのでした。
うん、自分が管理職をしていた時の反省点がもりもり浮かんできて、職員への申し訳なさで胃が痛くなってきた。

ただちょっとノイズが・・・

本文の内容とは関係ないのですが、本書の設定がしばしばノイズとなって一定間隔で私の感情を揺さぶられました。
というのも、著者はがんサバイバーであり、「がんで亡くなった母親が幽霊的に出てきて、遺された子どもらへメッセージを伝える」という本書全体を通底する直球の設定に、たびたび話が頭に入ってこないレベルで動揺させられます。
また、最終章では、筆者自身の闘病経験が正面からつづられていますが、そこまで展開されていた組織開発の話と少々離れすぎており、闘病記を読むつもりで本書を手に取ったわけではない私は、不意を突かれてこれまた動揺してしまいました。
この設定、本当に必要だったんだろうか。
別書籍で、じっくり聞きたかった・・・


※ほしいものリスト積読
「本屋で購入した書籍をすぐに読むことなく本棚に積んでおくこと」を「積読」だとすれば、いったん購入してしまっているので、お金がもったいないのです。というわけで、欲しい本を購入するのではなく、Amazonの「ほしいものリスト」にぽいぽい入れて貯めこむことを、「ほしいものリスト積読」といいます。
他にも、お金をかけない積読方法として、欲しい本を図書館サイトで探し、予約者数が結構な人数出ている場合はその場で予約する「図書館予約リスト積読」というものもあります。

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