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【読書メモ】病と障害と、傍にあった本ーこのどうしようもない「積読メーカー」ー
Facebookというものは、それだけでかなりの「積読メーカー」だ。つまり、いい本の紹介が流れてくる上に、スマホで眺めていることが多いのでそのままぽちってしまうので、気がついたら家の中は新着の本だらけになる。最近、活字中毒が深刻さを深めているので、相当気をつけないと月末のカードの請求が本代で ( ゚Д゚) ということも。
なのに、こんな本が。。
何がヤバいって、「病」や「障害」の当事者だったり家族だったりする12人の筆者が、それぞれの病の経験とともに、そのとき傍らにあって影響を受けた本を紹介する。単純計算で最低12冊紹介されるんですよ。もう、どんだけ読みたい本増やしてくれんねん、と。
和島幸太郎さん(てんかん当事者・映像作家)
佐藤真さんの『日常という名の鏡』の一節が刺さった。佐藤真さんも映像作家で、新潟水俣病をテーマとした『阿賀に生きる』を作りながら考えてきたことがつづられている…らしい(つまり、これから入手して読まなければならない)。その中の一節として紹介されていたのが、
人は社会問題やテーマのために生きているのではない。いかに社会的テーマを抱えていようと、人の日常は平凡でありきたりなものだ。逆に、社会問題やテーマに合致する特別なところだけを、普通の暮らしの中からピックアップすることによってはじめて、社会問題が問題たりえるのだ。
そう… そうなんよ。難病者は、朝起きてから寝るまで四六時中ずっと病気のことを考えているわけではなくて、体調を崩した時、何か大事な用事をキャンセルしなければならなくなった時、朝起きぬけ一発目に頭が痛かった時など、ふとした瞬間にひょっこり顔をだすもの。「どうでもいい8割の時間」も含めて難病者の生活であって、オンラインヨガをたしなんでいる時間はまったくもって普通だ。人はどうしても七転八倒している姿を切り出したくなるけれど、それはまったくもって当事者の日常ではない。小児がんのドラマなんか作りたがるし、最後は快癒して退院していく場合も多いけど、その子、その後どえらい目に遭うで…という点は誰も描かないわけで。そんな「テーマ主義」のドキュメンタリー映画に対する批判が、先ほどの一節でした。水俣病の「被害」と「加害」を等身大で切り取ろうとする佐藤真さんの悩み。四六時中「患者」をしているわけでもないし、薬で制御できていたら普通と変わらないように見えるてんかんという病。病名を伏せて社会に溶け込めてしまうことが、かえって本来できない任務を引き受けてしまうことになっていないかと思いを致す筆者。
街頭演説に立つような勇気ある患者だけではなく、そんな何気ない日常を浮かび上がらせることに心を寄せた、佐藤真さんの『日常という名の鏡』が…ほしいものリストに入りましたとさ(-_-;)。
丸山正樹さん(脊髄損傷による重度障害者の家族・作家)
丸山正樹さんがこの本に原稿を寄せていることは意外だった。私が丸山さんを知ったのは、デフ・ヴォイスという、ろう者の両親のもとで育った聴者の手話通訳士が、事件を解決するミステリーだった。テーマはろう者だったけど、丸山さんご自身に障害はなかったはず…と思っていたら、ご家族に脊髄損傷で重度障害を負った方がおられ、丸山さんがずっと介助をされているとのこと。し、知らなかった…
ここで紹介されている『時には懺悔を』(打海文三)という小説の中で、二分脊椎症と水頭症の子を育てる男、という人物が出てくるらしい。べつに障害のある子の子育てをテーマとした小説ではなく、探偵小説らしいのだけど、その中のひとりとしてそれだけ細かい設定の障害のある子が出てくるというのも新鮮だ。新鮮、と言いつつ、20年近く前の本なのだけど。10年くらい前、アメリカのドラマの「glee」にハマった時、脊髄損傷のもとアメフット選手とか、レギュラーメンバーの一人が車いすとか、邪知暴虐の限りを尽くす学校の先生の姉がアルツハイマー病だとか、障害が真ん中に来ない扱われ方が好きで好きでしかたがなかった…のに似てる。
そして、『時には懺悔を』が、ほしいものリストに加わった。。
頭木弘樹さん(潰瘍性大腸炎・文学紹介者)
この方は、もともと全然活字を読まなかったところ、潰瘍性大腸炎で長期入院をしたことを機に、中学生のころの読書感想文の課題図書として選んだ「本屋で最も薄い本」だったカフカの「変身」を改めて読み返してみたところ、ハマったことから活字中毒になった、という話。中学生で呼んだ時とはまったく異なり、まさにドキュメンタリーとして感じられたとのことだった。そこから、カフカが「血族」として敬愛したドストエフスキーを読んでみようと思ったらしく、そこで手にしたのが「カラマーゾフの兄弟」だった。何回か挑戦してもまったく入ってこなかったのに、潰瘍性大腸炎を発症したどん底の筆者には驚くほど入ってきたというのだ。筆者自身の頭の中がくどくどしていたから、くどくどしたカラマーゾフの兄弟の文章も妙に心地よかった。あまりにも熱心に読むので、同室の別の患者にも「カラマーゾフの兄弟」が伝染し、いっとき全員でドストエフスキーを読んでいたというから病院もびっくりだろう。
幸せな時に聞いたら若干辛気臭く感じるものの、失恋したり思いっきりへこんだ時に聞くと染みいる中島みゆきのようなものだろうか。たしかに私も、多少ませた子だったので、小学校高学年のいつかのクリスマスで児童文学全集一式をサンタさんに所望したことがある。その中の1冊がたしかカラマーゾフの兄弟だったが、当時、そんなにどん底じゃなかったからか途中で…ざ、ざせつを(ごめんね、サンタさん)。いや、小学校高学年ってたしか一瞬不登校になったりひきこもりになったりしていた時期だったんだけどな。私の能力的な問題だったのか!? 今、読んでみるべきかな。自分の方向性が全然定まらなくて、くどくどしているといえば、くどくどしているし。
(「ほしいものリスト」にはまだ入っていません)
などなど、Amazonの「ほしいものリスト」に大量に登録してしまう本だった。Amazonは「ほしいものリスト」に上限を設けるべきや。そして一定以上の冊数になったら、「本当に読めるんですか?」とツッコミを入れるべきや。アレクサなら、それくらいできるはずや…