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“自分らしさ”がようやくわかったのかもしれない。

ども!タニ丸です!
自分らしさってなんだろうなぁと、16歳の頃から考え続けてることが先日、言語化がようやくできたので早速認めたいと思います。
※連動している為、内容が重複する所があります。

疑問と向き合い続ける


例えば、大学受験の時の話です。

僕は本当に大学に行きたいのか?
このまま、ストレートに大学に行くことが全てなのか?
大卒という社会的肩書きが本当は欲しいだけなんじゃないのか?
大学受験の為だけに勉強を僕はしていたのか?
点数は評価基準の一つであるが、テストが終わったら受験が終わって、全く使用しなかったら一体僕は何の為に、教師の話を聞く為に毎日通学して教室の机と椅子に座っているのだろう?
本当は学問とか勉強とかどうでもよくて、有名大学の名前が欲しいだけなんじゃないのか?
そもそも、この思考は受験勉強が嫌で逃避しているだけなのでは?
どうして受験勉強が嫌なんだ?(ループ)

脳内でずっと、そんな問答を繰り返していました。

大学に行くこと自体が方針からブレブレになっていた僕は、この疑問と向き合わずには教材と向き合い続けて何時間もする受験勉強が僕には出来ませんでした。

僕は一体何がしたいんだろう?

そんな疑問を抱きながら、AO入試制度に出会いました。時間の大半を自らの疑問の探求に充てることにしました。

結果としてはAO入試で受験した大学は全滅してしまいました。
しかし、この選択は今も後悔してないです。
それは、自らの疑問を無視する事なく向き合い続けたからだと思います。

こうして、noteを認めている今も僕の頭の中には無数の疑問や問答が頭に湧き続けています。

自己決定

もう一つは自分がその瞬間瞬間の選択を、最善だと思う選択を自己責任で下すことだと思いました。

結果がどうであれ、その瞬間瞬間の最善だと思う事を自己決定して行動に移す事だと思いました。

人生では全く同じ状況や瞬間がくることはないと思っています。

自らが取り組む事を作り出して、その最善の選択をして、行動に移さなけば後悔して悔やむ日が多かったと思います。

幾ら自分の脳内で考えていても、結局行動に移さなければ分からない事ばかりが増えるだけだと思い、行動に移すことにしてます。

自らの脳内で考え行動する自己決定に責任を持った結果の失敗にこそ意味があるんです。

重ねて強調しますが、失敗する為の失敗ではなく心から渇望している成功を目指した結果の失敗にこそ価値はあると考えています。

僕は全てに於いて、心の底から叶えたかったことがまだ叶った事ことはありません。

でも、自らの意思で全力で自分なりにぶつかって砕けるからこそ意味があるんだと思います。

そして、この破片は凝縮した学びの塊だと思います。

この過程が、自己成長に繋がっているじゃないかと考えるようになりました。

ただ、気をつけているのは現実逃避をして、失敗した事実から目を逸すことをしてはいけないということです。

幾ら過程や失敗から学びが得られるといっても結局、失敗は失敗なんです。

それは揺るがない現実であり事実なんです。

それ以上もそれ以下もないです。 

変に過程を美化して記憶を改竄するのではなく、冷静に反省点から次に繋がることを見つけ出して失敗の事実から目を逸らさずに、正面から受け入れることを意識してます。

心の底から叶えたい事がいつ叶うのか、幾つ叶うのか、幾つ叶わないのか、それは僕には分かりません。

でも、心の底から叶えたいと思うからこそ破片を傷つきながらも大事に拾って大切にする事が出来るんだと思います。そんな破片を持って、また叶えたい事への壁に向かう事が出来るんだと思います。

だから、幾らダサくてカッコ悪くても後悔しない選択をし続けたいと思います。自分の人生は自分が選択した方が楽しくなる事を僕は知っているから。

そして、失敗した事は人生が続く限り伏線になっていると僕は思っているので厳密には失敗ではないのです。

失敗なんてものは、全てこれから起きる人生の伏線に過ぎないのです。

不器用さ


幼い頃自転車を両親からプレゼントされたとき、教えられるのを嫌って何度も壁にぶつかって擦り傷作って、血を流して、悔し涙を親に見せないで自転車の漕ぎ方を覚えたことが記憶に残ってます。

僕の人生は振り返ると、器用に出来たことなんて一度もなかったなと思いました。

周りの人が器用に乗り越えている壁に、馬鹿正直にぶつかって、ぶつかりまくって、這いつくばって、どうして自分は壁の先にいけないんだ、悔しいなって思いながらも、またぶつかり続けてる人生だなと振り返ると思います。

僕はまだ未熟者なので、偶に心が折れてしまいそうなときがあります。それでも最後の最後で折れないのは、”ここで折れてしまったら過去に折れずに全力でぶつかり続けてきた自分に合わせる顔がない”と思うと折れることは出来ないのです。

器用で、かっこよくてスマートな人間に憧れます。
でも、僕はどこまでいっても、とことん器用とは無縁の、不器用でダサい人間なのでこの不器用さとダサさに修正を加えて直そうとするのではなく、そのまま受け入れることにしました。

僕には僕なりの僕にしか出来ない戦い方がある。

全く同じ人間なんてこの世には存在しないのです。

変えることが出来ない持ってる自分の手札を捨てるのではなく、活かすしかないんです。
手札を味方につけて僕の戦い方をし続けるしかないんです。手札は変えられないけど強化する事は出来ます。
だから、この手札を強化し続ける為に壁にぶつかり続けて、時には自分が勝手に壁を作ってぶつかり続ける必要があるんです。

不器用でダサい姿を晒しながらも、周りの目なんか気にならないぐらいに必死になって全力で壁にぶつかり続けてきたから、今の僕があります。

そんな自分の人生を僕は誇りに思っています。

これからも、僕が僕である為に、これからも誇りだと思い続けられる様に、自分らしさと手を取り合いながら、色んな壁に向かって全力でぶち当たりにいきたいと思います!

生命が宿るコンテンツことタニ丸のアップデードに乞うご期待!

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