アナログしてみるとおもしろい!
4日位、SNS断ちしてみた。いつも、何をするにもSNSをチェックして情報を入手したり、出掛けたり、なにか物事を決める基準となってしまっていたので少しお休みしたのだ。以前よりはSNSに頼らなくなったけれど、やっぱり日常に欠かせないものかもしれない。映画の動画配信に、オーディオブックに、noteに、SNSが私たちの生活からゼロになることは難しい。
私の場合はいつのまにか、FacebookやTwitterからも遠ざかっていたので、いまはInstagramだけではある。
アナログ生活で理想とするのは、きっぱりとゼロにするという事ではなく、ぼちぼち生活の中心にあったSNSと距離を置いて、リアルな生活を楽しむという状態だ。新聞や本など、直接紙で読む、音楽を聴く、映画を観る、家族や友達と電話で話す、そういった時間を増やしたどうだろうかと感じたのだ。SNSが普及する前の暮らしはそうだったと思う。
完璧に断つのではなく、昔のように暮らしながら、補助的にSNSを見る程度なら自分自身の生活をしっかり送りながら、情報に左右されず楽しく過ごせるのではないだろうか。そう思い、ほんの少しの間、開くのも見るのもやめた。まず、その状態で休日を過ごしてみた。
すると早速知り合いに出会すと
「Instagramでは告知(載せたり)しているんだけど」
という話題が出る事がありその時に
「ふぇー」
と、話の切り口がSNSを見てないと一瞬取り残される感じがあった。しかし、見てないんです、というと丁寧に説明してもらえたし、あとは気にならなかった。
少し前の私なら知らない事が怖かったが、SNSを減らした生活を受け入れてみると、知らなくても別に構わないと感じた。知らないなら、教えてもらったり聞けばいい、それもコミュニケーションではないだろうか?
そもそも、私たちが情報に支配されるようになったのはいつからなんだろう。昔の、ポケベル、あれはあれで、数字で入力すると文字に変わるので、ひらがな表を頭に入れるのが面倒だった。だが、ポケベルだけで送れる絵文字(今で言うアスキーアート的なもの?)など、付け加える事が楽しかったし、数字で「イマナニシテル?」などと聞くのは何だか楽しかった。つまり、誰が何してるかなんて知らないけど(笑)何してるのか確認して空いていたら遊ぼうよ、だった。
今の時代は、誰がどこに行って、何を食べたかがわかる上、友達にも、こないだインスタに載せてたんだけどと言われてしまう。知らないとほんの少し置き去り。
だが、思い切って見ることをやめてみたところ禁煙や禁酒と同じで、無くても平気であり、それに余計な事に気を取られない分、平和になって、何だかそれが嬉しかった。
すごく気楽だ。ネット時代の氾濫に巻き込まれなくていいのだ。溢れる情報から離れて解放され、しかし同時に、ニュースや時事は知っておく事が必要だからそこは能動的に情報を収集していきたい。それは知識を増やすための取捨選択だ。
切り離して暮らしてみると気がつく事がある。私たちが目にしてる流動的な情報は時に人間を翻弄しているのではないだろうか。
それから付け加えるなら静かに本を読む時間はとても穏やかで良い時間だ。行き着く先のない似たような情報が混乱している洪水の中に溺れることもない。
ジャッジは全て自分だけ。SNSと距離を適度に保ちながら暮らすことはすごく有意義だし生きやすい。
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