タイムマシン
昨日、初めて訪れたカフェで
思ったこと。
そのカフェはレコードや本が雑多に、そしてタワーのように積み上げられていて、私にとってはそういった場所はとても居心地が良いのだけど、何故かと言われれば幼い頃、よく入り浸っていた物置きのようで落ち着くのだ。
物置きというと誤解を招くようであるが、狭い空間に物が並べられているのは、一見雑なようで程よく均等に、間隔もきちんと保たれていたりするので好きなのだ。言い換えるならば、完璧ではないところが好き。
そのカフェで積み重ねられた多くの本の中から、ナンシー関さんを特集した本を読んだり、音楽の本を手に取って眺めたりしていたのだが、自分の席でコーヒーを飲み、パラパラとページをめくりながら読んでいたところ...。何やらチラシのような紙が3枚挟んであった。
紙はチラシではなくプログラムのようで、よく見ると平成18年に上野の演芸場で行われた落語の演目を書いたようであった。中には有名な落語家の名前も書いてある。
なんだかその紙を読んだ時、タイムスリップしたような、しかも時間も場所も飛び越えて。平成18年に自分がどんな感じだったか今ではあまり記憶がないけれど、その時私何してたっけ?と現在の自分が交錯してワクワクした。
古本屋で買った本に昔の何かが挟まっている時もそうなんだけど、本に挟まった何かを見つけるのはとても光栄だし嬉しい。
宝くじにでも当たったかのような感情の高ぶり方なんだと思う。
そしてまたそれは、昔のある一定の時間と、現在の一定の時間が、私が本を開いたことで一瞬リンクするような奇跡を感じてしまう。昔を掘り起こしたようなそんな幸運に出会える。
昨日開拓したカフェでは嬉しい発見があった、そんな土曜日、ほっこり胸が温まる。
(MacBook)