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ぼくの生まれた町
僕の生まれた町、三次に行ってきた。
小学校一年生の時、学校から帰ったら母親がいなかった。
それから16年のうち一度だけ会うことはあったが、婿にきていた父親と、母親側の祖母と僕という、なんとも不思議な3人での生活がはじまった。
父親は、人に迷惑をかけないなら、好きなことをしてよいと、祖母はやたらと掃除をすることと礼儀に厳しかった。
そんな環境のおかげというか、僕は中高と6年間朝5時に起きて新聞配達をして、自分の欲しいものは自分で働いて買うということを学んだ。
母親がいなかったおかげで、早くから自立心が芽生えたのは、この変な家族の環境のおかげなのかもしれない。
田舎のまちのあるある話だけど、近所のバイクを借りて、夜中に友達の家に行く途中、警察に捕まり補導された。
その夜は、祖母は入院していて、父親は少しお酒を飲みすぎて、早めに寝ていたこともあり、ぼくは家を抜け出していた。
夜中に父親が、迎えに来てくれた時、ぼくは、こっぴどく怒られるだろうと覚悟していたら、「ちゃんとみてやれてなくてごめんな」と父親から謝られて、ぼくは大泣きした。
新聞配達の途中で、コーヒー牛乳を勝手に飲んだこと、バイクを時代を先取りしてシェアしていたこと、まちの自転車をできる限り夜中に逆さまにしたこと、数えればキリがないほどこのまちの思い出がいっぱいだ。
そんな思い出いっぱいのまちから、仕事の依頼を頂き、いまは実家もなくなり帰る場所や理由がなくなってしまったが、理由ができて戻れることにとても感謝している。
何もないけれど、夜は静かで街灯がやけに綺麗に見えるだけで、なんてステキなところなんだと感動してしまうのは、歳をとったからなのか。
なにが出来るかわからないけど、このまちに、恩返しができるよう、ぼくの脳みそに石炭をくべなければだ。
公には出来ないけれど、ここだけで書くことが出来る情報も含めて、皆さんに共有出来ればと考えています。 建築業界の凝り固まった環境を見直しながら、新しい働き方や、経営方法、ブランディングについて綴っていきます。