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自由研究『メダカの観察日記』

 一度バラけたメダカの群れは、一体自分がどこにいるのか、向かえばよいのかわからない。単に目的地を見失っただけでなく、今までそこを目的地としていた理由を自身に問うてみれば、その空白により病んでしまうだろう。位置的な、精神的な、存在的な不安によって、1匹1匹が再び群れを成す...
 これを土手から覗き込むだけでは、その違いは全く見て取れない。だが実際、この「むれ」は「群れ」ではない。存在不安によって集められた「むれ」。そこに神が介入する余地は全くない。ボウフラ、ミジンコ、ゾウリムシ。これらを食べ、寝て、ときどき繁殖をする。目を重くしながらそれを、一向に成り立たない終了条件に基づき継続する。
 よって、彼らの不安は増す一方であった。しばらくすると、彼らは「目高」へ変化した。これを進化とするべきか、退化とするべきか。少なくとも我々の知る「あのメダカ」らしくなったのは明らかであった。「目が高いのはこのためである!」そういわんばかりにあの橋の上のカーブミラーの使い方をあっという間に覚えてしまう。これはとても興味深い。自分の「むれ」ばかり凝視することの一体何が面白いのやら。いや、彼らにしてみれば、これは精神的なミッションクリティカルなのかもしれない。
 戻ってみるとあの「めだか」達はやはり…

画像:ナチュラリス生物多様性センター, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

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