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若者の政治的無関心について、「若者」からの意見

 もはや左派と右派ではなく、穏健派と過激派、安全と危険、謙遜と横暴、集団嫌悪と自立した向上心、天敵への恐怖と獲物への渇望..これらの対立の方が、より一層深刻である。

 政治的無関心は、どこから来るのか。政治的関心は、どこにいるのか。政治不信か、治安か、無力感かーー否、主たる原因をいってしまえば、吐き気をもよおす、善行の、義務の、正義のーー平和教育である。目の重くなる優越を与える、あの平和主義が、我々「若者」を政治から遠く向こうへ追いやり、これでもかという程に(反政治的)政治へ近づけるー
 現代人は未だ近代人である。ーとすれば、根本には対立がある。いうまでもなく、近代は進歩主義と保守主義の対立の世紀である。対立とは争いであり、究極的には戦争である。問題提起として、現代はリベラル対保守の対立が鮮明化しているーなんて馬鹿げた説教をする者や、それに迎合する者ばかりで心配になる。自らが生きる時代からは逃れられない。
 戦争に反対するということは、対立を諦める、ひいては政治を滅ぼすということになる。このままでは将来、政治のない、政府のない、争いのない、対立のない、安楽の世が訪れる。ついに「平和」が実現する。この安楽の世への生暖かいそよ風に、このまま身を任せてしまうのか、それとも抗うべきなのか。この点において、多くの若者は、前者を選択したまでである。現状は平和への想いによって生まれたのだ。平和主義者はこの反戦的戦争に圧倒的に優勢であり、このまま余裕綽々と勝利を収めようとしているーー
 熟慮の末、私は「悪者」になることにした。やはり私は極右であり、反平
和主義者であり、政治的関心が高く、過激派であった。あの胡散臭い風には抗わなくてはならない。今はそれに足りる力がないが、いずれ必ず、逆風を吹かせてみせる。
 「平和主義粉砕!」これこそまさに、最大で最高の解決策である。小さなことで喧嘩をしよう。言い争い、殴り合い、もっと殺し合おう。再び来るべき政治の季節には、赤く鉄っぽい精神が流れる!
 反体制派の諸君、今はまだ、この沈みゆく太陽について語ろうじゃないか。えっ?お前と俺は違うって?そうだな!燃やせ投票用紙、滅ぼせ民主主義・・・!

画像:United States Department of Energy, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で


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