金子みすゞは、『日の光』の投稿を最後に筆を折った?
金子みすゞについての権威とされている矢崎節夫氏は、著書にこう書いている。
夫に詩作を禁止されたみすゞは、昭和3年11月、『燭台』という雑誌に『日の光』を投稿したのを最後に筆を折ったと。
しかし、みすゞはその後も約1年投稿を続け、9編も掲載されている=採用されたのは9編だが、投稿した数はもっと多いかもしれないということ。
矢崎氏が、夫による詩作禁止の根拠にしているのは、みすゞの詩友・島田忠夫が、みすゞの死後、昭和12年『蝋人形』の2月号・3月号に書いた追悼文だ。
そこに、「みすゞから、夫に詩作と仲間との文通を禁止されているという手紙がきた」とある。
しかし、その手紙自体はないのだ。
裏を取れない島田の追悼文を、【事実】にしてしまっていいのだろうか?
という講義を、今日の塾でしました。