【しょうへいコーチ】自己紹介②中学編
中学1年生。谷口、熱い男になる。
他の小学校出身の生徒とも混じる中、新しい春を迎えた。小学校からの情報共有もあったのか、児童会で仲が良かったメンバーとはバラバラのクラスになり、自然とクラス会長になっていた。中学1年生、非常に刺激が多かった。
いくつか要点を紹介する。
【その1】カルチャーショックを受ける
自分の中学校は近くの小学校2つから成り立っている。西部小は、男女間で苗字で呼び合う。それに対し東部小は、下の名前で呼び合っていた。これはたまげた。こちらには男女に呼び方の壁があったのだと。だが次第に、なぜか苗字に「さん」や「くん」を加える形で統一されていた。
【その2】いじめに遭う
新中学生が始まり、4月の教室はとても静かだった。給食の時間、知らない人たちがいる中グループで机をくっつけて向かい合って給食をとる。思春期の僕らにはなんとも過酷な時間だった。みんながお互いをうかがっているのも仕方がない。そんな中、東部のイケイケ風女子2人に目をつけられてしまったのだ。シーンとした教室に針のような声が飛んでくる。そして響き渡る。
A子「谷口くーん、好きな人とかいるのー?」
B子「ねー、だれー?谷口くーん、いるんでしょー?教えてよー?」
私「・・・ひみつやなー。」
こんなのが1週間続いた。
すれ違う廊下、授業の合間にもそういったことを言ったりしてくる。チャラい。実にチャラい。「ど」がつくほどの真面目だった私は、それをいじめと受け取っていた。この頃は学校で彼女らに話しかけられるのが嫌でたまらなかった。それとは反対に、なぜか彼女らと同じ学校だった男子からは羨ましがられていた。なんてこった。これが好意から来るものだったのかとようやく気がついた。しかし、彼女らはとても苦手なタイプだったため、拒絶反応が出てしまったのは仕方のないことだ。本当に申し訳ない。その時、他に気になる人がいたというのは内緒にしておこう。
【その3】国語と英語
入学してすぐに学力テストがあった。
中学に入ればテストの点数が学力、そして成績へと直結するようになる。いままでは国語60〜70点台がほとんどで漢字テストで挽回してバランスをとったつもりになっていたタイプの人間だった。国語はどうも深読みしたり想像が膨らみすぎたりして失敗しがち。人と話すのは得意だと思っていたし、国語とはそういうものをやしなうものでしょ?と勝手に解釈していた。国語の解答例は腑に落ちないことばかりだった。
とうとうこのテストで事件が起こった。
国語「40点」
愕然とした。衝撃だった。
なんとかせねばと焦ったのはあの日から・・。そして、新たに始まる英語の授業。
得意か不得意か直面するのが心底嫌だった。
結果、よく分からんがなんとなく正解。
そんな感じの出来だった。
すごく苦手なまま時は進んだ。
中学2年生。モテキ到来。
部活に学業に生徒会、どれもうまく行き、まわりの目が変わったのがこの頃。クラスに居ても廊下を歩いても女子の目線が好意的なものからくるものだと分かった。
なぜか1つ上の学年にも名が通っており、ときどき知らない女子から名前を呼ばれることもあった。このときは何もかもがエネルギッシュに動けていてとても充実していた。サッカー部の先輩から谷口派という派閥があるという話を聞いたときはとても嬉しかった。前生徒会長の女子の先輩からもすごく好かれていたのを覚えている。
中学3年生。一皮むけてさらに。
サッカー部の部長、生徒会会長と人の上に立つ役職を経験し、人の動かし方、自分の動かし方に学びを得る。はじめ、生徒会長になるのを全力で拒んでいた。先生から強めに勧められ、それでも今回はオレはやらんぞ!と。なぜなら、本気で出来る限り部活動に時間を割いてサッカーで全国大会に行きたかったからだ。毎日全力で、本当に全力で部活動に取り組んできた。ものすごくサッカーが好きで、本気でついてきてくれる仲間たちがいたのだから。
熱い思いを話し、先生を説得しようとするも叶わず、逆にこちらが説得される形になった。理由はこうだ。丁度、生徒会長選挙の立候補者をどうするかという話が学年集会であり、誰が良いか、名前と理由を書いて投票することになった。その結果、2番手で票を獲得し、1番手は同じ生徒会の優しく背が高く学力はトップのバスケ部キャプテンの仲の良い友だちだった。しかし、先生から「あんたに頼みたいんだ」と言われた。なぜか聞いた。
「少しの差であんたの方が票は少なかったけど、書かれている理由を読んでほしい。」
と言い、票の内容を読み上げてもらった。
「せやから、あんたを書いた人たちの理由は、あんたの人柄について書いてある。あんたにしたいという思いがしっかりしてる。これはいかにあんたが人として好かれとるか、信頼されとるかっちゅう話や。」
うれしい言葉だった。これを聞いて、生徒会長選挙に出ることを受け入れることにした。
しかし、条件を加えたのだ。
「本当に僕のやりたいことをやりますよ?」と。先生は許してくれた。
いままでの生徒会は、「それ楽しいの?」「なんでそんなことやりたいの?」と思うこともあったので、「流れで今まで通りやるなんておもんないから、おもしろくしよう!」と主観を交えて出来る限り学校生活がおもしろくなるよう考えることにした。
生徒会長が決まるとまず、誰をメンバーにするか決めることから始まった。これがとてもおもしろい。生徒会には様々な委員会がある。美化委員会や掲示委員会、放送委員会、体育委員会、図書委員会などなど。誰が適任か、何を判断軸にして決めるのか新鮮でわくわくした。
そして、適任者が浮かんだら交渉しに行く。
「〜委員会の委員長、お願いしたいんだけど、、、どう?」
交渉がスムーズに行く場合もあれば、
難航し、断られる場合もある。
それに加え、交渉相手が気になる相手だったらもうドキドキがすごい。ど緊張。
相手がどうであれ、こちらはあなたを欲していますというラブコールをするわけだから。
自分にとってとても重要な一発目の仕事だった。
生徒会活動において、全体行事では「生徒会長のお話」というものがつきものだった。これは先生と話す内容を調整し、生徒会長らしく話すこと使命がとしてあった。内容を覚えて畏ってみんなの前で話す。なんて面白みのない時間だと毎回思っていた。自分は取り組みを通じて感じたことをそのまま言う方が、生徒にも聞いてもらえるし、人間味があっていいのではと思い、自分の言葉で話すことにした。
たとえば、学校をきれいにしよう!という外に出て学校周辺の清掃活動をする催しの際の最後の挨拶のこと。
「今日は非常に暑い中、草をむしったり、花壇を整備したり、ゴミを拾ったり、みんなありがとう!みんなできれいにするって、意外と気持ちがいいなって思いました!僕はね、花壇まわりを草むしりしているときに、アスファルトの隙間からたんぽぽが伸びているのを見つけました。チューリップなどの花は人が整えて花壇の中できれいに咲いていますが、たんぽぽはガタガタのアスファルトの隙間から力強く咲いているんです。すごいなーと思いました。どんな環境でも力強く意思表示しているような感じがしました。オレはここにいるぞっ!って。・・」こんなような話をしました。全校生徒の視線が自分に向いているのがわかり、笑い声もちらほら。すこしでも笑ってくれたかな?そう思いました。教室に戻れば、いろんな人から声をかけられました。
「祥平、あの挨拶、なんなんよ(笑)おもしろすぎやろ。」
「谷口さぁ(笑)たんぽぽの花詞知ってる?情熱とか愛とかの意味なんだよ?」
とにかく僕を見ては笑う人が多かった。
良かったのかな?と思った。
さて、部活動においてはどうだったか。
生徒会の影響もあり部活に顔を出せる時間は減ってしまった。たいてい、部活が終わる10分前にやっと参加でき、残り時間わ思いっきりプレーしてギリギリまで自主練して仲間と帰るというのが日常だった。僕は、部活動では一切の妥協を許さない熱い男だった。言葉は熱く、プレーは激しく、全員に対し手を抜くこと、考えを止めることを許さない雰囲気を絶えず出していた。嫌だったメンバーも少なくないはずだ。先輩後輩、同輩関係なく言うことは言うし、ケンカみたいになることはしょっちゅうあった。
しかし、みんなは一生懸命についてきてくれた。その分、信頼をしてもらえたし、試合にも勝てたし、何よりもゲーム自体が楽しかった。
ボールはつながるし、チームとしての崩し方、守り方ができ、かつ一人ひとりが闘争心に満ちたプレーを見せてくれていたのだ。感動ものである。戻れるならこの頃に戻りたい。とにかく中学時代の部活動はみな、競争心がすごくエネルギッシュなチームだった。それもあってか中1,2,3年の全てで県総体決勝進出、県で初の3大会連続北信越大会出場となったのだ。
中学3年生後期。
受験の時、僕はサッカーで高校に行きたいとずっと思っていた。3つ上に兄がおり、サッカーを続けている。兄は高校1年生から強豪校でレギュラーで活躍し、選手権大会の決勝でも先発出場しているくらいだ。その影響もあってか、サッカーで本気になれる環境に身をおきたかった。周りが部活を引退し徐々に受験勉強へとシフトしていく中で、自分はその後も部活に出続けていた。運良くサッカーの推薦を貰えて私立の高岡第一高校へ専願。受験勉強はまわりの友だちと同じように続けつつサッカー部でトレーニングしていた。そんな中、こんなことが多くなった。
「谷口ー、ここ教えて!」
学力的に学年で10番前後だったのもあってか、学習指導頼まれる機会が増えた。
「どれがわかんないの?どう解いたん?あーなるほどねー確かにそうなるよねー。でも、ここにこう書いてあるやん?これ前に授業で言とったね!これ、忘れとったんやねー!」
とても楽しかった。人の思考の流れが理解できるとともに、その人の性格もやりとりの中で伝わってくる。こらはいいコミュニケーションだと思った。わからないものは、わかりそうな人に聞きに行けばいいし、頼られたら断らず一緒に考える。学習面での指導はこの時くらいから価値を感じ始めた。実は、サッカーの方ではお互いに教え合う、聞き合うみたいなのが当たり前にずっと自然とやっていたのだ。先輩後輩同輩関係なく。
そんな中、月日が経ち春を迎えた。
つづく。
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