20代女子、民話が好き
はじめまして、お久しぶりです、タニシです。
大変お待たせいたしました。
今回のテーマは「民話」について。
民話が好きなんです、私。どのくらい好きかというと、大学の卒業論文で民話について書いたくらい。
まあ、小説でもドラマでも民話でも、物語ならなんでも美味しくいただくのですが。
小説についてはこちら→https://note.com/tani00_/n/nfb7f49473487
今回もなかなか長くなりそうな予感がしますが、どうぞ最後までお付き合いください。
1.なんで民話が好きなの?
なんで民話が好きなんでしょう。よく聞かれるのですが、改めて考えるとなんでなんだろうなあ。
まず一つ目は、私の地元である長野県大町市が、民話の宝庫であること。
住んでいた実家のすぐそばに伝わるお話を、幼少期より聞かされていました。
市全体、また、安曇野と呼ばれる地域にも多くのお話が伝わっており、「あづみ野 大町の民話」(あづみ野児童文学会『あづみ野・大町の民話』郷土出版社、1998 年)という書籍が実家にあったので、それを小さな頃から読んでいたりしました。
二つ目は、アニメや漫画、小説などからの影響。
今回の投稿を書くにあたって、民話に興味を持ったきっかけを思い返していたのですが、そこで思い当たったものをいくつかご紹介。
「ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス」(2002年公開)
ポケモンのテレビシリーズの劇場版第5作目なのですが、この映画本当にめちゃくちゃ良いのでおすすめです。
ベネチアがモデルの架空都市、「アルトマーレ」に伝わる昔話が語られるシーンから、ストーリーが始まります。
そこで流れるBGM、異世界の絵本の挿絵のような作画、話のあらすじ、ナレーション。全部がとにかく印象に残っているんですよね。
「シェーラひめのぼうけん」(原作/村山早紀 挿絵/佐竹美穂)
小学校の図書館に置いてあったアラビアンナイト(千夜一夜物語)をモチーフにした児童書。
冒険のわくわく感や仲間との友情、中東の雰囲気がめいっぱい描かれた素敵なシリーズでした。表紙や挿絵などを担当された佐竹美穂さんの絵柄も作品の舞台のイメージととてもマッチしていて、登場人物の衣装や登場する宝石などの装飾品、中東の街並みの様子に目を奪われていたのを覚えています。
「Missing」(甲田学人)
中学校の図書館に置いてあったライトノベル、Missing。
恐怖を煽るグロテスクな描写が特徴なのですが、物語のメインとなるのは学校を舞台に起こる「怪異」と呼ばれる何か。噂だったり、現象だったり、事件だったり。まあでも、一番怖いのは普通の人間なんですよね……。ただし、ホラーというよりかは、民俗学感が強めです。文体がすごくしっかりしているので、読み物としてのクオリティーはすごく高いと思います。
「マギ」(大高忍)
週刊少年サンデーで連載していた人気漫画。
弟が漫画を買っていました。アニメも見てたかな。
こちらもアラビアンナイト(千夜一夜物語)をモチーフにしたストーリー。
マギがきっかけで、高校時代は学校の近くの図書館でアラビアンナイトの本を読み漁っていました。
三つ目、その他。
ギリシア神話
中学校の入学祝いで、母親に電子辞書を買ってもらいました。
これがまあ楽しくて楽しくて。当時ギリシア神話が好きで、ギリシア神話について調べていたんですよね。
例えば最初、「ギリシア神話」と調べる。
すると、
などと出てきます。
次にゼウスと調べます。
次にオリュンポス。
これを一人一人調べていきます。
すると、いつの間にか相関図というか、ストーリーが出来上がっていきます。(当時インターネットが使えなかったので、電子辞書でこんな遊びばっかりしていました)
ギリシア神話は神話なので、民話とはまた違う括りかなと思うのですが、民話に興味を持つきっかけではあったかなと思います。
古代エジプトにおいてのバー(魂)
中学か高校あたりで、何の気なしにテレビを見ていた時のこと。NHKか何かで、古代エジプト特集みたいなのをやっていました。
それはもうめちゃくちゃ格好良いCG映像で、ピラミッドの内部の様子とか、当時の人々の暮らしとか、ファラオについてだとか、色々まとめられていて。
その中で特に印象に残っているのは、エジプトの死生観であるバーについて。古代エジプトでは、人が亡くなったら魂「バー」が肉体から抜き出て、所々を巡ってまた肉体へと戻っていくと伝えられていました。だから、肉体はミイラにして、魂が戻ってきた時にまた入り込めるようにする、みたいなお話だったと思います。
私が印象に残っているのは、鳥の姿をした「バー」が、ピラミッドの内部を自由に飛び回っている映像。
なんだか分からないけれどすごく惹かれたのを覚えています。
これがきっかけで高校時代は古代エジプトの本をよく読んでいました。
大学時代の民俗学の講義
私が通っていた学部では、民俗学についての講義がありました。
そこで印象に残っているのは、奄美に伝わる蝶(ハビラ)という伝承。
これもエジプトの「バー」と似ているのですが、人が亡くなった時に、着物の袂から蝶がひらひらと抜け出てきた、みたいなお話でした。
バー、ハビラについては、昔からちょっと不思議な話が好きだったりするのですが、それを書き出していたら文字通り日が暮れてしまうので、それについてはまた機会があれば…。
遠野物語
大学1年生の頃、友人から、京極夏彦新釈の「遠野物語」を借りて読みました。
元々民俗学チックな分野が好きで、行ったことも無い遠野に思いを馳せ、引き込まれていったのを覚えています。
以上が(まだまだある気がするのですが)民話に興味を持つようになったきっかけです。
2.そもそも民話とは
これまで民話民話と書いてきましたが、民話とはそもそもなんなの?と思う方も多いと思います。あんまりメジャーなジャンルでは無いですよね。
大学時代に執筆した卒論の内容を思い出しながら、振り返っていこうと思います。
民話とは、民衆によって語り継がれる口承文芸のことを指します。英語ではフォーク・テイル、ドイツ語ではフォルクス・メルヘン、フランス語ではコント・ポピュレールなどに訳されます。
「民間説話」を省略したものという見方もあります。
日本で民話という言葉が作られたのは江戸時代の頃であったとされていますが、定着されるようになったのは「民話の会」という運動が発足された 1952 年だとされています。設立者の吉沢和夫をはじめとして、木下順二、岡倉士郎などが月に二回、二十円の会費を集めて話し合う気楽な会だったとのこと。(松谷みよ子『民話の世界』講談社、2014 年より)
昔話研究者である小澤俊夫は民話について、神話と対をなすものだという見方をしています。
民話の分類には国内外でも相違があり、研究内容も様々です。主な研究者を紹介します。(敬称略)
海外での研究者で言うと、世界で初めての昔話の研究者であるグリム兄弟(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム)、アンティ・アアルネ、スティス・トンプソン、マックス・リュティ、ウラジーミル・プロップなど。
日本で言うと、柳田國男、稲田浩二、関敬吾、松谷みよ子、小澤俊夫、石井正巳、小野和子など。
※他にもたくさんいらっしゃるかと思いますが、在学中に論文で触れた方達をベースにお話ししていこうと思います。
※マニアックな方向け↓
人類が最初にお話を語り始めたのは、今から4、5万年前、旧石器時代の末期と推定されています。(松谷みよ子『民話の世界』より)
すごくロマンのある話ですよね。上記のアアルネとトンプソンが分類したAT分類において、まず最初に動物昔話が来ているのも、こういった理由からだと思われます。
(海外の昔話ではオオカミやキツネを悪としたお話があったりして、それは当時の支配者をオオカミとして描いていたという見方もあったり・・・これについてはまた機会があれば)
さて、松谷みよ子は日本の民話は3分類に分けられると述べています。
昔話、伝説、世間話の3つです。
◾️昔話
昔話は「むかしむかしあるところに」という語り始め。時代、場所は限定しない。
◾️伝説
伝説ははっきりと場所や時期が決まっている。「どこそこのなになに池に大蛇がすんでいた」など。
◾️世間話
世間話は「なになに村のなにさんは~」というようなはなし。昔話のように形式にとらわれず、伝説のように信仰的基盤にもよらず、説明的、教訓的目的もない。
民話の定義について大まかに説明してみました。
昔話は意外とガチガチにルールというか、決まり事がたくさんあって興味深いです。詳しく知りたい方は、小澤俊夫編著の『昔話入門』をおすすめします。
伝説は悲劇性や英雄譚などのドラマチックな特徴があり、印象に残るお話が多いです。昔話が架空であることを暗黙の了解としているのに対し、伝説は語り手、聞き手ともに(この話を)信じてほしい、信じたいと願っている場合が多いです。
世間話は、現代でいうところのネット文芸的な側面があると思います。
大学時代に洒落怖にはまっていたのですが、こちらは世間話要素が強いような気がしています。
3.口承文芸と書承文芸(文学)との違い
民話は、その性質上口承文芸とも呼ばれています。ロシアの研究者ウラジーミル・プロップは、口承文芸の特徴について以下のように述べています。
また、日本の研究者竹原威滋は昔話と小説の違いについてさらに細かく言及しています。
同じ物語というジャンルですが、性質的には異なっています。
小説と比べると、口承文芸の脆さや儚さ、美しさ、そして土着的な要素がはっきりしていますね。
4.民話の萌えポイント
民話って本当にロマンがあると思うんです。
基本的に私ロマンがあるものが好きなんですけど。(古代エジプトが好きなのも深海や宇宙が好きなのもそれ)
自分のペンネームにもなっているタニシが出てくる昔話をご紹介したいと思います。
狸と田螺(たにし)
かわいすぎんか。
狸と田螺が二人で伊勢参り行っているのも、駆けっこしちゃうのも、田螺のずる賢いところも狸の鈍感さも何もかもが愛おしいお話です。
最後田螺の貝が壊れてしまい、「今肩を脱いで休んでいるところだ」とか言っちゃうところも、見栄っ張りですごく愛くるしいキャラクターですよね。
この、観客は状況をわかっているが登場人物はそれを知らないという状況が生む効果を、劇的アイロニーと呼びます。
それと、日本語の美しさにも注目して欲しいです。「狸と同じだけにとんで行くことができました。」など、現代で言うと「狸と同じくらいのスピードで」とか、「同じくらいの速さで」とか言いそうなところを、当時の語り口調で「同じだけにとんで行くことができました」と表現しているあたり。私はこういったものと出会うとき、タイムラグを無視して当時の語り手と対面しているかのような、不思議な感覚になります。(古墳とか土器とか見る時もそんな感じ)私が思う、民話のロマンです。
もうひとつ作品をご紹介。
こちらは長野県志賀高原にある琵琶池に伝わる伝説です。
池に浮かんだ一ちょうの琵琶
これがもう切なくて切なくて。
池の主である龍神が琵琶法師の歌を気に入り、洪水を起こすことを法師に教えるが、法師は逃げ出す準 備をしつつも村人の優しさに心を打たれ、洪水がおきることを打ち明けてしまう。秘密を洩らした法師は龍神に殺されてしまうという悲劇です。
最初は、「早く早くここを逃げねば」と逃げようとしていた法師が、村人たちからの優しい声かけで「もうすこしでわしは人でなしになるところだった。」と思い直すシーン、法師の人柄が表れていて切なくなります。(自分が同じ立場になったら同じように行動できるだろうか・・・)
最後の「〜へたへたと膝をついていたそうな。池の面にただようていたのは一ちょうの琵琶だった。」は、池の水面に浮かんでいる琵琶の様子がありありと想像できてしまい、胸が締め付けられる場面です。
この話が伝わる地域の周辺には、実際に人々が洪水に悩まされていたという記録があります。また、この地にはこの他に黒姫伝説など、水害に関した民話が多く残っています。(長野県建設部防災課『夜間瀬川流域における土砂災害伝承と防災事業の変遷』砂防フロンティア整備推進機構、2018 年)
ちなみに、こういった「大洪水に先立ち、白髪や白髭の老人が現れ水害を予告した、洪水や大津波の波頭に白髪、白鬚の翁が乗っていた」という伝承は、白髪水、白髭水と呼ばれています。(畑中章宏『天災と日本人ー地震・洪水・噴火の民俗学』筑摩書房、2017年)東北地方を中心に見られるお話だそうです。
伝説は昔話とは違い、時期や地名がはっきりしていることが多いので、いわゆる聖地巡礼が可能です。志賀高原 琵琶池を訪れた際には、ぜひこのお話を思い出してみてください。
5. ”カタリ”を体験したときのこと
卒論のテーマを決めて、だらだらと書き出していた大学3年生くらいのころ。
本当は、岩手県の遠野市に行きたかったんです。遠野物語は民話を扱う上では欠かせない分野だし、一度本場に行ってフィールドワークをした方が良いなと思って。ただし、当時車を持っていなかったり(当時は富山にいました)、精神疾患をやらかしていたりしていたことから、あまりアクティブな活動ができずにいました。
できたことと言えば、友人と一緒に愛知県に行ったついでに安珍清姫伝説の舞台である和歌山県に行ったことと、長野県大町市に帰省した際に、カタリを聞いたこと。
大町市では、2017年の初夏に、北アルプス国際芸術祭という芸術祭をやっていました。その中のパフォーマンスの一つとして、信濃大町の郷土料理を研究する有志の女衆が、この地の豊かな食を、民話の語りとともに紹介するというものがありまして、予約をしてこちらの催しに参加することにしました。
聞いたのは、「敵に塩を送る」。上杉謙信と武田信玄との間に残っている有名なお話です。そのときに初めて、お話してくれた語り手さんの声のトーン、早さ、身振り手振りなどから伝わってくる生のお話を聞くことができました。やっぱり文字で読むのとは違いますね。
ちなみにこちらが郷土料理などを盛り込んだおこひるの記憶のお料理。
参加した中では、私と同じくらいの年齢の方はいませんでしたが、隣の席に座っていた女性と仲良く話せたりして、とても良い経験になったと思っています。
ちなみに。大学の専攻というか、芸術分野(特に芸術祭など)については興味があり、いろいろ関わったりもしていました。
実は民話とは直接的には関係のない学部で勉強していたのです 笑
民話について卒論を書けたのは本当に恵まれていました。(お世話になった先生方、本当にありがとうございます)
気力があったら芸術祭についての記事も書いてみたいと思います。
あ、あと民俗学とかも・・・
6.文化としての民話
私は文化が好きです。
民俗学において、文化とは基層文化と表層文化の2種類を指します。(ドイツの民俗学者 ハンス・ナウマンによる定義)
表層文化とはいわゆる高度な価値を創造するハイカルチャーのこと。基層文化とは、素朴で日常的、集団的、また類型的な文化であり、伝承性の濃厚な文化のことを指します。民話は基層文化にあたります。
どちらも大好きなのですが、愛おしいと感じるのは基層文化のことが多いです。無名の民衆が好んだ娯楽、振る舞い、食べていたもの、話していた言葉、使っていた道具、着ていた衣装、大切にしていた行事など。それらと向き合うとき、私は生まれた時代が違っただけだと思ったりします。そして、それらに対して興味を持つかもしれない未来の方たちに向けて、バトンをつなぐのが現在を生きる私の役割なのかもしれないと、そんな大袈裟なことを思ったりもしています。(細田守監督のアニメーション映画、時をかける少女に登場する、千昭みたいな人がこの先現れるかもしれないし 笑)
民話(口承文芸)は、語り手と聞き手が存在することではじめて成立します。私もあなたも、どこかで民話と接しているかもしれません。
7.あとがき
長くなってしまいましたが、昨年の夏頃から書き始めて、ようやく書き終えることができました。
本当はギリシア神話とかアラビアンナイトとかの推しの話を書きたかったのですが、内容の一貫性を考えて断念。また次の機会にでも。
ここまで読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
それではまたお会いしましょう、ではまた!