政治システムとは:北岡伸一著『明治維新の意味』書評

タイトル通り、明治維新の意味を問う良書。結論は「明治維新の最大の目標は日本の独立であり、日露戦争の勝利によって、元老の役割がほぼ終わったのは自然なことだった」となるが、以下の2つの点が印象深かった。

・江戸時代の日本ではリーダーが武士であり、すでに相当サラリーマン化していたものの、それでも軍事的な視点は失われなかった。軍事的な視点からペリーやプチャーチンを見て、日本は勝てないとただちに理解した。これが開国を進めた原動力だった。清国や朝鮮のように指導者が文官だと、文化的な視点から夷狄はどこまでも夷狄であって、倫理上許されない存在だった。ひとつの証左として、京都の朝廷や公家において攘夷論が根強かった。

・明治39年5月3日、日露戦争後の満洲で日本が英米に排他的な政策を取っていることへの抗議があり、どう対処すべきかの決定する会合が開かれた。
 招集したのは伊藤博文で、メンバー13名は次の人々。5人の元老:伊藤博文(韓国総監)、山県有朋(枢密院議長)、大山巌(元帥)、松方正義(枢密顧問官)、井上薫。内閣が5人:西園寺公望(首相)、寺内(陸相)、斎藤(海相)、阪谷(蔵相)、林(外相)。その他:児玉源太郎(参謀総長)、桂太郎(前首相)、山本権兵衛(前海相)
 伊藤にこのような会合を招集する権限があったわけではない。昭和の時代であれば海軍軍令部長が必ず出席しただろうが、最大の実力者である山本権兵衛がいれば不要ということで呼ばれていない。
 つまり、制度的な枠組みを超えた、実力者を動員した会議であった。会合は議論の末、おおよその合意が成立した。伊藤は「だいたいこの結論」ではダメだとし、キチンと書き残すとして、自ら筆をとって要点を書き示した。
 著者は言う。「本当の挙国一致の決定というのは、こういうものではないだろうか。元老を中心とする明治のリーダーの非制度的な性格を如実に示したもの」だと。
 その後の時代の何がいけなかったのか。日露戦争以後、様々な集団において制度化・合理化が進み、それとともに、リーダーの凡庸化・平凡化が進んだことではないか、と見る。

 そして、戦後政治も「制度化」という同じ道を歩んでいるとの見解を示す。佐藤の後を争った田中・福田・三木・大平・中曽根が、それなりに戦争経験に原点を持ち、独自のヴィジョン持っていた。今の時代をこの頃と比較して、活力ある政治が行われているとは思えない、と嘆くのだ。

今のDXも、現場の技術者はアメリカや中国に勝てっこないと思っている。ところが、事務官や技術系出身でもMBA的な経営者になると、美辞麗句を並べて、「日本の潜在的能力は高い」といった妄想が結論になる。

後者については、塩野七生が『ローマ人の物語』第3巻「勝者の混迷」にある警句が思い浮かぶ。
「システムのもつプラス面は、誰が実施者になってもほどほどの成果が保証されるところにある。反対にマイナス面はほどほどの成果しかあげられないようでは敗北につながってしまうような場合、共同体が蒙らざるをえない実害が大きすぎる点にある。
ゆえにシステムに忠実でありうるのは平時ということになり、非常時には忠実でありたいと願っても現実がそれを許さない事態になりやすい。
だからこそ柔軟性をもつシステムの確立が叫ばれるわけだが、これくらい困難なこともないのである。」

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