オープンレター資料として 26

笙野頼子氏の「発禁小説集」を読んでいて、オープンレター勢の行動を想起してしまう文章がありました。

昔の糾弾と違っているのは、彼らがずっと相手を差別よばわりしながら差別糾弾の5W1Hまで全て隠す事、というか彼らにとってばれるとまずい事をずっと隠しているところ。なので定義も議論も質問も全部禁止。何があったか分からないようにしてただ相手をいきなり「ヘイター」と呼んで職場にコンタクトしたり、仕事の妨害をするだけなのだ。私もそうされている。

呉座氏の日文研にたいしてもそうでしたが、また呉座氏にツイッターで好意的だった甲南大学の非常勤講師雁琳氏にたいしては大学事務局に内容証明を弁護士から送り付けるというスタイルをとりました。
まさに、「ヘイター」と呼んで職場にコンタクトの一例です。
笙野氏が呉座氏の立ち位置で、トランス擁護(性自認)派がオープンレター勢の立ち位置、という構図になります。

笙野氏の作品集は私は文学(小説)というより、ドキュメンタリーとしておもしろく読みました。一人の真摯な共産党シンパの女性が、トランス女性の問題をめぐって、共産党にうらぎられ、自民の山谷えり子を評価するところまで変わっていく経緯が350ページにわたり克明にかたられます。文体は私にとっては読み続けるにはつらいものはありましたがw 
(笙野氏の作品を読むことで私が文体に美をもとめる嗜好があるとわかりました。前にも書いたように開高健、小川国夫のような細部にこだわりのある文体が好みです。小川の「或る聖書」とかは極上。三島由紀夫や塚本邦雄までいくとちょっと装飾過多なのでこれはこれでNGなんですが)

たとえばすでに起きた事例があります。クラウドファンディングでトランス女性の性自認に反対する活動をしているグループが出した企画を、トランス擁護(性自認)派が抗議してプロジェクト中止においこんだ、という話。
これはレディフォーで起きた事案ですが、抗議活動にびびったレディフォーが企画を撤回してしまったのです。
これなどは実害といってもいいでしょう。そういうことがじっさいに起きています。
笙野氏でいえば、本。彼女の本を置いた書店、出版した出版社にはげしい抗議がいき、本屋から本が消え、出版社から出版されなくなる、というまさにキャンセルカルチャーの愚行が展開されているのです。
これも、オープンレターのテニュア取り消し問題とかさなります。


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