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【寒露・霜降2024】 Editor's Note

季節が大きく動く瞬間を感じると、とても嬉しくなる。
その感覚を私もちゃんと持っているんだなと、地球の生態系の一部として自分も存在しているんだと実感する瞬間だ。


これから冬に向かっていく日本を尊く感じつつも、私の頭の中は秋の食べ物のことでいっぱいだ。行きつけのマルシェから「初物の栗が出た」という情報が入れば、すぐに栗ご飯のことで頭がいっぱいになる。
スーパーの野菜コーナーには、椎茸やえのきに加えて、見慣れない珍しいきのこたちも並び始めた。やっぱり、きのこご飯がいいかなぁ。
頂き物の桃や葡萄のおかげで、毎日心が満たされ、幸せな季節だ。秋になると、私はエネルギーに満ちあふれ、元気になる。栗、さつまいも、かぼちゃ。考えただけで幸せいっぱいだ。


かぼちゃの煮物 コンポストかぼちゃを使って、そぼろあんかけを


表紙に使ったかぼちゃの写真は、私の自宅で撮影したもの。
なんと勝手にコンポストから出てきたかぼちゃなのだ。私は植えた覚えはない。かぼちゃ以外にも「植えた覚えがないシリーズ」の植物が色々と元気に茂っていく。
この「コンポストかぼちゃ」は、我が家で冬に食べたカボチャが芽吹いたものだろう。我が家のコンポストは、ちょっと独特だ。容器を使わず、蓋もなく、穴に埋めるわけでもなく、ただ地面に撒くだけ。剪定した木の枝を使ってサークル状に枠を作り、その中に生ゴミを撒くスタイルだ。

「生ゴミ」という言葉には、なんだか汚いものというイメージがあるかもしれないが、実際には料理をするときに出る野菜のクズ、たとえば野菜の皮や硬くて食べられないヘタ、種などが中心。子供が残してしまった食べ物や、食べきれずに悪くしてしまったものも含まれている。

これらの食べ物は元々土から育ったものなので、また土に撒けば分解され、やがて土に還る。お日様の陽や風で乾燥し、虫たちが食べることで、数日もすれば形がなくなっていくのだ。時には、鳥たちもサークルにやってきて、何かおしゃべりしながら中をつついている。集まった虫を食べているのだろう。


こうして食べ物の残りが土に還り、堆肥として土の栄養分となっていく。当たり前のことなんだけど、現代の生活では「ゴミは焼却場に行くもの」という認識で私たちは過ごしている。しかし、私たちの身体や心を作る源となっている食べ物は、尊くありがたいものだという感覚がなくなると、料理を終えた「ゴミ」となり、身体と切り離されてしまう。

食べ物を身体の一部と考えれば、野菜のクズも次の命をつなぐためのありがたいものとなる。認識一つで、見える世界は大きく変わる。この世界には、私がまだ知らないことがたくさんある。見えないものを感じ取る心を、これからも育んでいきたいと思う。


ちなみに、このコンポストかぼちゃさんは、ものすごい勢いで育ち、かれこれ6個の立派な実をつけた。我が家では煮物にして美味しくいただいてる。
娘は怪しい表情をして、「ゴミから育ったかぼちゃ」を警戒している様子が面白い。

タネニハプロジェクト
コーディーネーター
Myoka Komori