皮膚という感覚器
コロナと住む世界になってから、会えない代わりにオンラインツールを使うようになった。
たしかに顔を見て話はできるし、用は足りるけれど、決して会うことの代替えにはならないということを実感している。
何年か前に、初めてオンライン飲みをした時に、何かとても不思議な感じ、
なんならちょっと気持ち悪いような感覚になったことを覚えている。
「目の前にいるのに、いない。」「話しているのに、伝わってこない。」
みたいな説明ができない感覚に戸惑った。
そして、最近になって気づいたのは独特の疲れ方をすること。
背中のあたりが、ドワーっと疲れる。
何が違うんだろう。
人と直接会って話をしているとき、視覚や聴覚など五感の他に、皮膚感覚を通じて情報を得ている。
と、思う。
オンラインツールで感じる不思議な感覚は、皮膚感覚が使えないことが影響している気がする。
オンライン会議は、視覚・聴覚は会うのと変わらないくらいの情報収集ができるけれど、嗅覚や触覚は使わないし、もちろん皮膚感覚を使った情報収集もできない。
それによって、何かをふさがれたような感覚になる。
ふさがれた部分を何かで補おうとして疲労しているんだろうな。
皮膚という感覚器はとても優秀だ。明確に実在する情報と情報の間を埋める空気を感じとる。
雰囲気で、その人の体調やゴキゲンがわかる。
この世界の状況がどう展開していくか、わからないけれど、実際に会えるということがとても貴重な機会になっているのは確かだ。
一方で、全世界が一斉に使い始めたオンラインコミュニケーションによって、神経細胞が新しいつながり方をして、人はまた新たな感覚を獲得するのかもしれないとも思っている。
どちらが優れているとか、劣っているとかの話ではなくて、明らかに新しいトビラが開いたんだろうと感じている。
それはそれで、楽しみだ。