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人生を彩る愉快で無意味な教師のメイゲン

こんにちわ!
今回は、イイブン…よりちょっとラグジュアリーな『メイゲン』を書いてみようかと思います。
いつもより、長い文章に挑戦です!

私の学生時代の事です。
私には、今でも連絡を取っている先生など、いません。心に残る言葉をくれた恩師など、皆無です。
先生との出会いに、当たり外れがあるとしたら、完全にハズレ!の学生時代だったと思います。

しかし、思い起こしてみると、私の学生時代を彩ってきた先生たちには、それぞれ『メイゲン』がありました!それも、無意味な名言!いやいや、ちょっと待てよ、一見無意味に聞こえるけど、掘り下げてみると……

どこまで掘ってもやっぱり無意味!!

そんな『メイゲン』たちを集めて記録しておこうと思います。

それでは、早速紹介します!!!

○日本語のイントネーションが独特で、何語か分からない中学英語教師

60代男性教師。
その頃は、まだ教師による体罰的な事も残っていました。この先生にも「げんこつ」の得意技があったのですが、げんこつを食らわす時に、

ワ〜〜〜ッン!!

と雄叫びをあげる習性がありました。しかも、中指だけ鋭角に曲げて、コメカミにグリグリ〜っとやりながら

ワ〜〜〜ッン!

と、やります。
そんな彼のメイゲンは、

サンタンゲンノッエ〜〜ッス!!!

です。
なんの事かと思いますか?
『3単元のS』の事です。
Sの文字を書きながら、これを叫ぶのですが、あまりに白熱していますので、いつもチョークがポキっと折れます。

他にも

アッゲッチョ〜〜ッ!!
サッゲッチョ〜〜ッ!!

もあります。
これは、疑問文の文末が上げ調になるか、下げ調になるかの学習なのですが
3単元のSと同様、先生のパフォーマンスのインパクトが強過ぎて、本来の意味を理解している生徒はほぼいなかったのではないかと思われます。
英語が苦手な生徒が続出しました。

私は、中学2年間この先生に英語を学びましたが、3年の時に他の先生になったので、これが英語か!!と衝撃を受けた記憶があり、不運にも3年間この先生の英語を受けた生徒たちがとても不憫でした。

しかし、これだけインパクトが強い先生なので、モノマネする生徒も続出。恥ずかしながら私もやってました。ウケるウケる。スベリ知らずという素晴らしい経験をさせていただきました。

私は行った事はありませんが、同窓会でもきっと大活躍だったのではないでしょうか。お酒を飲める歳になってからも、モノマネして笑いをさらった人がいるかと思うと(しかも、絶対スベらない!)これだけのインパクトを与えてくれた(インパクトしか与えてくれなかったとも言えますが)先生の功績をたたえたい!

さてさて、
次に行きましょう!

○自己プロデュースを間違えた中学技術教師

20代後半男性教師

メイゲンは、こちら

俺は、横浜産まれ横浜育ちB'zの稲葉と同じ学校

私の学校は、九州の片田舎の小さな学校でした。

これは、メイゲンというか、普通に経歴なのですが、
残念なのは、彼のルックスが
「横浜産まれ横浜育ち」とも…
「B'zの稲葉」とも…

かけ離れていた事です。

今思うと、彼は、自己プロデュースを間違えたのです。

彼のルックスからいくと、もしかしたら
「だるまちゃん」というあだ名を付けられ
転んだら「だるまちゃんがころんだ!かわいい!」と言われていたかもしれません。
しかし、彼は自己プロデュースを間違えたため、転んだだけで
キモい…
と言われる存在になってしまっていました。
思春期の女子が生理的嫌悪感を抱いてしまうと、歯止めが効きません。恐ろしい…。

しかし、彼は、最後まで、カッコつけ続けたのです!
彼は、自分を諦めなかった!
いつも竹刀のような物を肩にかけて歩いていたし、喫煙室でタバコを吸う時も「男の気だるさ」を全身で表現していたし
私の友人に「子ネコちゃん」とあだ名まで付けて、最後まで私をゾワゾワさせてくれました。

もちろん、彼の喋り方や立ち振る舞いも、全てモノマネとして昇華させていただきました。
これも、スベり知らず!ありがとう、先生!

まだまだ続きます!

○悲劇の赤点、高校世界史教師

60代男性教師

これは、私が、最初で最後に赤点を取った時の世界史の教師です。
申し訳ないのですが、何を言ってるのか聞き取れず、全くモチベーションの上がらない授業だったという事を理由にしておきます。

こんな風。

ブルータスゥシィ〜〜お前もかぁシィ〜〜

語尾にヨダレをすするような音を付ける癖があったのです。
ブルータスなのか、ブルータシィなのか、
分からない。
字も汚いので、何と書いてあるのか読めない。
自分好みの女子生徒にやたらに当てる。
更には、しょっちゅう脱線するので、気付けば世界史が彼の自分史になっている。

もう、お気付きかと思いますが、彼の授業もモノマネとして昇華しまして、学生の時のみならず、今現在も使わせてもらってます。
夫は彼の事は知らないですが、私がモノマネするたびに大笑いしてくれますので、夫婦円満の秘訣なのかもしれません。
皆さんもぜひお役立て下さい!

さて、ここまでお読みいただいて、
「うちにもいたいた!こんな先生!」
という方がいらっしゃいましたら…
マジで?!
いたの?!
日本大丈夫?!
と言いたい。

しかし、他にもまだまだおります。

例えば
アルフィーファン過ぎて「アルフィーを見たら先生思い出してね!」と言い続けた小学校女性教師。しかし、彼女は叱るときに教壇の前に生徒を呼んでみんなの前で平手打ちするような先生だったので、アルフィー見たくない…という生徒が大半だったと思われます。

若い高校の化学教師は、教室に活けてある花を持ってきてくれたのは誰かな?という質問に誰も答えられなかったので、「先生は、悲しい!」と教室を飛び出し、分かるまで授業はしない!と言い始めた事がありました。わ〜…ドラマみたい…と夢見心地になったのを記憶しています。

あ、いつもジャージがパンパンで、半分お尻が出ていたので『ハンケツ校長』と呼ばれていた校長先生もおりました!

……などなど

数多くのメイゲンを残した先生方に彩られた私の学生時代。今振り返ると愛おしささえ感じます。

心に響く言葉を残してくれた恩師には、全くもって出会えませんでしたが

その違和感を俯瞰する目と、多様性として転用する感性があれば、自分の人生も悪くなかったなって思えるかもしれません。

もしかしたらこのメイゲンたちに救われた人生だったのかもしれません。

いや、それは、無いな。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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rin☆地球を遊ぶお母さんレポート
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