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新米コミュニティマネージャーがつぶやく『コミュニティの在り方』について

おはようございます。
人生100年時代に向けて《人生の質— Quality of Life —》の向上を図る《ライフデザイントレーナー》の丹後友里(@yuri_tango_0630)です。

先日オンラインコミュニティで懇意にさせていただいているあづささん(@Mt_Azusa157)が主催する『コミュニティのこれから』というオンラインイベントに参加させていただき、まさにタイトル通りにあるこれからのコミュニティの在り方について熱く深く語り合いました。
その時に感じたことを、少しだけ徒然に書いてみようと思います。


■コミュニティは『必ず作る』べきものか?

イベントの流れは、

・Sansan株式会社 Eightコミュニティマネージャーの
 小父内さんより基調講演
 (そもそも『コミュニティ』ってどんなものなのか?)
・ブレイクアウトルームにて3~5人程度でのディスカッション
 (選出済みのテーマから選びディスカッション)

という感じで大いに熱く盛り上がりました。
また、私が参加していたグループでは、コワーキングスペースの運営に携わるコミュニティマネージャーさんが多く、それぞれの会社の経営方針もあるのでしょうが、独自の見解で運営されていました。

特に驚いたのは、
コワーキングスペースには必ずしもコミュニティが必要ないという視点から、うちではあえてコミュニティを作っていない
という参加者の方がいたこと。

これは、私にとって青天の霹靂でした。

コワーキングスペース=コミュニティというのが私の中では結構大きなウェイトを占めていましたし、当然あるべきものだと思っていました。
普段からもオンラインコミュニティに所属して、その中の活動にもそれなりに注力しているものがありましたから、コミュニティって大事と思っていたんです。

しかし、その参加者の方の言葉で、私の中ではちょっとしたパラダイムシフトが起きていました。
それは、

『コミュニティは、無理して作ろうとするものではないのかもしれない』

ということ。
多様性が叫ばれる時代。

ガチガチのコミュニティを作ることは、かえって人や場所に依存し合う『内輪』を作り、外部との交流を遮断することに繋がってしまうかもしれない

そんな危惧もあるとお話を聞いてから、人に依存するのも依存されるのも嫌いな私は大いに納得し、心から共感しました。

お互いの価値観・考え方を尊重し合うコミュニケーションを大事にするなら、無理に誰かと誰かを結び付けたりするのではなく、その場にいる人達が望んでいるお互いにとってちょうど良い距離感を保ちながら誰もが『居心地がいい』と感じる空間づくりや細やかな心配りをする環境を整えていくのもまた、コミュニティマネージャーの役割の1つなのではないか、と思えるようになれたんです。

そこで、私は初めてしっくり来ました。
私なりのコミュニティの在り方・関わり方って何なんだろうと考えた時、キーワードに挙がったのは、またしても『ソーシャルディスタンス』でした。笑




■自分なりの『コミュニティ』との関わり方

コミュニティとは、出入りが自由であることもまた最大の特徴と言えます。
いいなと思ったら参加すればいいし、ちょっと合わなくなってきたなと思えばそこから離れることができる『来るもの拒まず、去る者追わず』思考。

それがあることで、いくつものコミュニティを自由に横断しやすくなる一方、いくつものコミュニティに属していると陥りやすくなるのが、

自分は、本当は何者なんだろう(何がしたいんだろう)……』

という『アイデンティティ・クライシス』だと小父内さんは言います。
これもまた、私にとってはわかりみが深かった………。笑

今年に入ってから新型コロナ禍が突如始まり、様々な生活環境がオンライン化する中で特に感染予防対策から『人との関わり方』が一番大きく変わったのではないかと思います。
それまで対面で会えていた他者との交流は極力控えるようになり、画面越しでのオンラインが主流となりつつある昨今。
私は、一昨年から参加しているオンラインコミュニティ『朝渋ONLINE』があったおかげで、この新型コロナ禍においても絶えず数多くの方々と交流ができましたし、むしろこの新型コロナ禍によって『オンライン上での他者との交流』の楽しさに気づいてからは様々なコミュニティで良いと思ったものに関してどんどん参加していきました。

結果、どうなったかは………いうまでもありませんよね。笑

私も例に漏れることなく『アイデンティティ・クライシス』に陥り、当初一番楽しんでいた朝渋ONLINEでさえ楽しめなくなっていた時期がありました。

いくつものコミュニティに属することで、一度に触れる価値観の量の多さに対して、受け止めきれる量がキャパオーバーを起こします
ただでさえ、価値観の違いや多様性を受け入れるのに苦労しやすいのに、いくつものコミュニティに所属してしまえば、さばききれなくなってくるのは当然のこと。

まずコミュニティに顔を出すのはいいとして、そこから何を得たいのか?
そしてそれを日常生活あるいは仕事においてどんなことに活かしていきたいのか?
そうした『コミュニティに参加する(主体的かつ意図的な)目的・目標』という軸がなければ、アイデンティティ・クライシスは起きてしまうのだなと感じました。

同時に、そのコミュニティの世界観に染まってはいけないというのも痛感しました。
それは最終的に『依存』を生みます。
宗教がまさにそれですよね。
依存からは何も生まれません。
自分を見失い、本来大切にすべきものすら平気で破壊して、最終的には自分も他人も不幸にしてしまう。

だからこそ、コミュニティに参加する上ではセルフマネジメントが大事だとも思います。
そうした意味からも、私は『ソーシャルディスタンス』が大事だなと感じました。

熱量と意識高く主体的にコミュニティの活動に参加する一方で、
そこの環境やヒト・モノ・場所にのめり込み過ぎず俯瞰する距離感を保つ

自分が何者であるか、自分が何をどうしていきたいのかは、自分の中にしか答えはありません。
だからこそ、『考え続ける』ことが大事だと、私は思いました。




■『他者と働く』を読み始めて

現在参加しているコミュニティの中で一番大きなウェイトを占めている『朝渋ONLINE』。
そこでは数々の部活があり、中でも毎月1記事決められたテーマの下noteを書く『note部』というものがあるのですが、そのnote部で9月のテーマとなったのが、noteのお題からお借りした『読書感想文』でした。

ちょうど1冊読み終わったところだったので、新しい本を読もうとしていた矢先のこと。
私は今月から職場に新スタッフを迎えたこともあり、先日の『コミュニティのこれから』の内容とも相まって『宇田川 元一』氏の著書『他者と働く』に決め、読み始めていました。

まだ、序章と第1章を読み終わったところですが、既に人との関わり方について考えさせられることがいくつかあります。
中でも一番刺さったのが

組織とは、「関係性」である

というフレーズです。
これは、職場における組織論に留まることではなく、むしろ先のコミュニティの話にも通じると感じましたし、家族・友人・学校・部活やサークルなどでもいえると感じました。

どんな関係性をもってその場にいる人達が和を成しているのか

それ次第によって、いくつもの選択肢と可能性に分かれると思いました。
先にも書きましたが、いくつものコミュニティに属することで価値観を受け止めるキャパオーバーを起こし、アイデンティティ・クライシスに陥るのも、結果的に関係性を上手く構築できなかった(または既にある関係性に上手く馴染めなかった)ことから起きるのであれば、やはり個人としてのスタンスと組織(コミュニティ等)の関係性をしっかり図れる目を養わなければ、せっかくの憩いの場が一転して地獄となってしまいかねないと私は思います。

他者との関わり方。
コミュニティづくり。
人と人の『ハブ』となるコミュニティマネージャー。

まだまだコミュニティマネージャーとしては新米なので、新社会人になった時のような初心にかえって、もう一度考え方を見つめなおしたいと思った最近でした。