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高梨沙羅選手の謝罪文についておもうこと
冬季オリンピックからだいぶ経ってしまった。
今更だと思っているが、どうしても書いておきたくなったので、お許し願いたい。
正直にいうと、冬季オリンピックについては、これまでなぜかそれほど興味が湧かなかった。スノボもやっていたし、おもしろいスポーツがたくさんあるとは思うが、熱狂するほどではなかった。フィギュアにいたっては、あんなの、そのときの審査員の主観しだいじゃないか。公平な採点評価なんてできないじゃないかと思っていた。
そういうわけで、今回の北京冬季オリンピックが開催されてはいるが、あまり率先して見ることはないと思っていた。結果は夜のニュースで確認できるし、なんならネットで結果がわかるので、積極的にテレビでは見ていなかった。
いま北京冬季オリンピックが佳境である。
今回のオリンピックについては、開催国がどうの、人権問題がどうの、そしてコロナがどうの、選手本人や競技とは関係のないことで炎上というか、選手じゃない人が外部で白熱している印象を受ける。
オリンピックの主役は当然ながら選手である。
それを選手の容姿や競技とはあまり関係のないプライベートのことで、選手のパフォーマンスに影響が出ていて、福山雅治氏がいうように一線どころか、随分超えたところまでマスコミの報道やシミンの目というものが来てしまったように思う。
別に女性選手の化粧は気にしなくてもいいじゃないかと思うが、本筋じゃないことを言いたくなる人は少なからずいる。そして、心無い言葉が発せられてしまう。
わたしがよく聴く地元のラジオ番組でリスナーがこんなことを投稿していた。
「高梨沙羅さんの化粧についてなにか言ってるようですが、そんなの気にしなくていいです。中島みゆきさんのファイト!の歌詞にあるように、”戦う君の唄を~、戦わないやつが笑うだろう。ファイト!”です。言いたい人には言わせておけばいい。目の前の競技に集中してがんばってほしいです。」
そのとおりだと思った。高梨沙羅さんのように一流のスポーツ選手になるといろんなメディアや人に注目される。と同時にいろんなことを言われる。”応援してます”とか”がんばってください”など肯定的なものだったら悪い気はしないが、ネガティブなもの、場合によっては人格を否定するようなことも言われる。それは有名税みたいなもんじゃんとか言う人もいるが、最近は選手のメンタルが耐えられなくなってきているんじゃないかと思う。
今回、団体戦のジャンプ後、高梨沙羅選手からの謝罪文が公表された。
まるで遺書のような謝罪文にとてもいたたまれなくなった。
下手したら、自殺しちゃうんじゃないかとさえ思ってしまった。
そもそも高梨沙羅選手がジャンプを始めたきっかけは何だったか。詳しくは知らないが、スキーのジャンプを飛んで「楽しい」からではなかったのか。それがいつの間にか、オリンピックでメダルを、金メダルを取らなければならない、と頑なに金メダルに固執してしまっていたように見えた。
高梨沙羅さんには、自分が思っていることをなんでもすべてを吐き出せるクリアリングパートナーが必要だと思う。
どんなことでもどんな汚い言葉でも、ただただ、”受け取ってくれる”パートナー。そんな人が必要だと思っている。
今回の件にしても、表立って違反にした審判に文句を言え、というのではなく、このパートナーに、例えば「審判のアホンダラ!!」とか思う存分話せる人がいれば良かったと思う。
羽生結弦くんは、自身の4回転アクセルを最高のものだと言った。彼は今回のオリンピックを完了させて、次のステップを踏もうとしている。自身で完了させることによって負ではない、バイタリティサイクルを回そうとしている。
また、大谷サ~~~ンでおなじみの大リーグエンジェルスの大谷翔平くんは、野球が大好きで大好きでしょうがなく、もっとうまくなりたい、と純粋に野球を楽しんでいる、とわたしは思っている。
誰のためでもない、自分のために自分に正直に野球に取り組んでいる。
だから、高梨沙羅選手には、金メダル取れなくてごめんなさいと謝る必要はないし、自分のやれることを全力で楽しんでほしいと願っている。