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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(65)
こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。
第10章 生まれ持つ善心に気づく:寛容で愛情に満ちる心への入り口
【許しの恵み】
エイミーは、オフィスからの帰路にラッシュアワーの交通渋滞に巻き込まれ、その日は丁度彼女の上司夫婦が自宅に訪れる日。
それなのに、エイミーの娘、セリアが台所に食べ終わった食器や飲み物で散らかしてしまっているのをみつてしまいます。
激しくセリアを攻撃し始めるエイミー。最後の言葉を言い放ちドアを思いきり閉め、セリアの部屋を後にするのですが、その後の沈黙の中で、彼女自身の声が耳に鳴り響き、心臓はドキドキし息は浅く速くなっています。
突然、娘の幼い頃のイメージが頭に浮かび、タンポポの花束を積んできてくれて、お互いの髪の毛に春の花を織り込み、5月の女王様になりきったことを思い出します。
セリアに対して、そして夫に対してどんなに申し訳なく思っているのか、心から溢れ出る思いを娘に伝えます。
セリアはしばらく沈黙の後、「ママ、完璧な人間はいないのよ。でもいつもママに愛されているのはわかってたわ。それが大事なことじゃないの?」娘が本心から語っていることを理解して、大きな安堵の波を感じるエイミー。
…許されたと感じた瞬間が訪れ、自分に対してより穏やかに優しく接することができるようになります。
エイズにかかり病院で瀕死状態だったある女性の感動的な話があります。
仏教では、自分の間違いや罪を思いやりの目で見ることができれば、自己嫌悪と自責で自分を縛る無知から解放されるといい、これが許されたと感じることの意味。己の真の姿を知れば、己の無垢を知るのです。
許されたという思いは、私たちの心を確実に開く道…このパワーは仏教の伝統的な修業でも認められ、生きとし生けるものに慈悲(愛と思いやり)の中で許しを乞う行為によって、私たちの心を和らげてくれるのです。
他人からの許しは自分自身への許しを深めます。伝統的な許しの練習におけるさらなる一歩は自分自身に許しを示すこと。自分、そして他人から許されたという思いが、自責から私たちを解放し、瞑想の中で他人を心から許すことを可能にするのです。