ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(67)
こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。
第10章 生まれ持つ善心に気づく:寛容で愛情に満ちる心への入り口
【他者の善心を見る】
博士はナラヤン(博士の息子)が幼い頃、彼が眠るベッドの横に座りこの子は一体どんな人間なのだろうとよく思いを馳せたものです。彼の愛らしい顔とゆっくりと呼吸する身体を見ながら、彼が誰であるかを生身の姿を通り越して見てみようとしました。
彼に問い、博士自身に問いかけます。
「あなたは一体誰なの?」「私は一体誰なのか?」
そして、純粋な気づきの意識と愛が二人の真の姿であると感じます。※1
人格や役割を超えた大事な生命の存在に気づくには、これが人生最後の出会い、あるいはその人がすでに亡くなっていると想像する方法もあります。
あの人はこういう人と定義するクセを手放すことで、私たちはその人たちの真の姿である輝く気づきの意識と善心を見出すことができるのです。
自分の周りにいる人々を狭く確固としたアイデンティティで定義する癖がある私たち。このアイデンティティは大抵の場合その人が見せる不愉快で煩わしい行動に基づいているのです。
自分や他の人の行動パターンを知ることはできますが、思い込みの寄せ集めで相手を定義することはできません。立ち止まり「本当はあなたは誰ですか」※2 と尋ねることで、より一層の理解に繋がります。
博士が息子に問うことで理解したように、その人の内在する善心や仏性に気がつけば、私たちの反応は常に愛情に満ちたものとなるのです。
※1 愛が二人の真の姿であると純粋に気づきます。
と解釈した方がわかりやすい。
※2 「本当のあなたは誰ですか」
私そのもの、今、ここの私自身。
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