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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(38)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第6章 欲望のラディカル・アクセプタンス:切望の源に目覚める
【私たちが本当に欲しいもの

「今日は来てくれて本当にありがとう、また明日もおいでなさい。たまにはお話でもしましょう」と大きな声で叫ぶのは、チベット仏教の偉大なヨーギであり、山中の洞窟の中で孤立して何年も過ごしていたミラレパ。

何年も集中して修行を積んだ彼は、悪魔と戦うとしたり、誘惑されることから苦しみは起きることを理解し、最もどう猛でしつこい悪魔に直面したとき、その悪魔の口に頭を入れるという行動に出ます。
ミラレパが完全に身を委ねた瞬間に悪魔は突如消え去り、純粋な意識から放たれる眩しい光のみが残ったといいます。

博士は、ヴィパッサナーロマンスの原因となった欲望と戦っているとき、このミラレパの物語を思いだし、これが瞑想の敵ではなく、自分の悟りに役立つ自然な経験であること。そして、この足りない自分を突き動かすエネルギーに抵抗しないと決意します。

ある晩遅く、博士が自分の部屋で一人で瞑想をしていると…「切望の中に、交わりの中に、愛そのものの中に消えてしまいたい」と感じることができ、これこそが自身が一番望んでいることであり、その瞬間に、ついに自分の切望をあるがままにすることができたのです。

15世紀のスーフィー詩人であるカビールは、「宇宙は普遍の愛で満たされている」と言いました。これこそが私たちの望む真の姿。ラディカル・アクセプタンスで巨大な欲望に抗わず、執着せずにそれを受け止めることができれば、足りない自分はこの透明で意識の光である普遍の愛の中に消えさっていくのです。そして、私たちは生まれながら完全なる愛そのものであると理解することでしょう。この生きる意識から除外され、離れているものは何もないのです。

ルーミーはいいます。

不思議な情熱が 頭の中で駆け回る
心は 空を探し求めながら飛ぶ鳥になり
自分の体のすべてが違う方向に動く
私が愛するものは 本当に いたるところにあるのか?

また、ブッダは欲望を意識することができれば、自分がその欲望と一体となることはないと説きました。ラディカル・アクセプタンスは私たちを小さい人間として固める接着剤を溶かし、生き生きとした完全な自分として人生を生きる手助けとなるのです。

愛への切望は愛そのものの入り口となり、自分が本来属する場所に導いてくれるでしょうし、欲望という泉に幾度も幾度も身を浸すことで、その源泉である無限なる愛を信じることができるようになるのです。

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