
ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(63)
こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。
第10章 生まれ持つ善心に気づく:寛容で愛情に満ちる心への入り口
【自分を許す:心を縛る非難の気持ちを手放す】
エイミーは次のセラピーセッションで自分の欠点の数々を博士に吐露します。自分は母親失格、悪い妻、家でも職場でもつまづき失敗している…
娘のセリアとの会話は皆無で、距離感を感じており、夫のドンとも昨年のある晩に、彼がベッドの中で上司と口論になった話をしたとき、彼女が放った台詞のあと、彼がベッドに戻ってくることはなかったのです。
他人に向けられても自身に向けられても、怒りや非難はより深い所で感じている羞恥心や痛みから、私たちを遠ざけてしまいます。こうした感情を避け続ける限り、鎧に閉じ込められたままの自分や他人への愛を感じることはできないのです。
解決の手立ては…痛みをラディカル・アクセプタンスで受け止めること。
自分自身を自由に、叡智と優しさで今という瞬間に直面すること、これが許しの心髄です。怒りが自分の内側か外側かにかかわらず、許しは非難の気持ちを手放し、押しやろうとした痛みに心を開くことで始まるのです。
博士とエイミーのセラピーは続きます。博士が身体に感じる感情に注意を向けるようにガイドしていくと、彼女はまるで自身が腐った沼、恥の深い穴に落ちていくかのように感じ、何年も前の娘とのやりとりでイライラしている場面が突然頭に蘇ります。
まず、自分を許すのではなく、自身の感じている羞恥心に許しのメッセージを送れるか尋ねる博士。…羞恥心から恐怖へと感情が移り、その恐怖にも同じようにあるがままを感じ、許しを提供できることを伝えます。
すべてに許しを示すことで、私たちは自分の内面で起きるあらゆることを認め、「自分」を許すのではなく、自分と一体化してしまっている経験や感情を許すのです。
「私はこれを許します」「許された」という言葉は、感情の広がりと変化がもたらす温かさと柔らかさを作り出すのです。
エイミーの悲しみがようやく落ち着くと、身体は静まり、顔はリラックスしていました。そして、小さい頃の自分が動物が大好きで、夫が軽度の動物アレルギーではあることが、動物園を作ることを妨げる唯一の砦になっているのだと冗談を口にするまでに…。
博士は、彼女に就寝前に「許しのスキャン」を提案します。
1日の終わりにその日あった自己非難や恐怖、怒りや恥の痛みに対して「許します、許します」というメッセージを送ることで、自分自身は最善を尽くしているという、優しい気持ちで思い出すことができるのだ、と。
自分への許しは生涯続くプロセス。この許しを通してその度に自分を解放しながら、生まれつきの善心の認識を深めていき、人生を大切に生きれていることを再び信頼できるのです。
許しは時間とともに私たちの人生を完全に変えていきます。たとえ重い罪を犯したひとたちも、自分の取った行動の全責任を負うことで、生まれ持った自分の善心に目覚めることができるのです。
私たちはおもいやりと許しで自分を抱擁することを通してのみ、自分の善心を理解し、自分の置かれた状況に対して分別と思いやりで対応することができるのです。
ブッダより