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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(30)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第6章 欲望のラディカル・アクセプタンス:切望の源に目覚める
【無題

高校の国際研究のクラスで初めて「仏教」を知った博士は、「欲望のない人生なんてつまらない」と考え、その教えを直ぐに却下します。

ブッダの説いた「欲望は苦しみに繋がる」意味とは、
…すべてが移り変わるこの当たり前を無視し、不変を求め、執着する傾向が苦しみを生み出すことなのです。
それは、『無条件の愛』を見出す道のり…欲望のエネルギーと賢明な関係を築くこと。

博士がこの無条件の愛の可能性を体験するのは…「恋愛」。
最初の離婚からしばらくしてそれは訪れ、恋愛の興奮の真っ只中で、一週間の冬季瞑想リトリートに参加されます。

今ここに意識を置くのだという博士の期待を裏切るように、「ヴィパッサナーロマンス」とよばれる空想に取り憑かれてしまいます。
リラックスして呼吸に意識を向けても、長めの歩く瞑想も歯がたちません。
欲望に囚われ、将来のことばかりが頭をよぎります。

実際に聞こえる音・感情・感覚に十分に注意を払えるはずのリトリート中にもかかわらず、強迫観念に取り憑かれたように欲望が「今」という瞬間を味わう妨げとなっていたのです。

これは、リトリート中に行われた講師とのインタビュー「…欲望という存在をどう受け止めているの?」という問いの瞬間まで続きます。
この問いによって、ハッとさせられた博士は、欲望を敵対視し、戦いに負け続けていたことに気づきます。何が起きていようとも、その経験と自分がどんな関係を持っているかが大切なのです。

欲望は不快ではありますが、いたって自然な感情であり悪いことではありません。欲は生存本能の一部で、これによって深い悟りへのエネルギーともなり得るのです。自分を失うことがなければ、欲望自体は問題ではないのです。

ブッダは欲望に乗っ取られず、抵抗せず受け止めるべきであると中道を説きます。たわいもない好みから抵抗し難い渇望まで、欲望のすべての度合いを含んでいるのです。

欲望とともに感じる感覚と思考は、生まれては消えていく現象であると…明確な意識で観ること。そして思いやりのある意識を養っていくことで、私たちはこの自然なエネルギーに対して完全に心を開き、欲望の真っ只中でも自由を見出すことができるのです。

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