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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(75)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第11章 ともに目覚める:
対人関係の中でのラディカル・アクセプタンスの練習
【真の友と道を歩む】

私たちは友達という言葉を非常に気軽に使うのでこの言葉の真の意味とパワーを忘れがちです。パーリー語のメッター(metta)または「慈悲の心」には「友好的」という訳もあります。友人の愛情と理解はまるで澄み切った井戸の水のように私たちの存在の源を潤わせるのです。

すべての宗教とイデオロギーが消えて、私たちの唯一の目的がお互いと自分の内面、そしてあらゆる自然への無常件な友情を築くことになれば、どんな世界になるでしょう!


博士の瞑想の生徒の一人であるカレン。15年間の結婚生活に終止符を打つ離婚調停と厄介な親権争いに巻き込まれ苦しんでいました。
そんな彼女に対して博士は、ワシントンDCの瞑想コミュニティ「真の友人グループ(パーリ語でカリヤーナ・ミッタ、善知識)」への参加を提案します。

グループの優しい受容は「これもこの道の一部なのだ」と信じて受け止める助けとなります。彼女は次第に気分も感情も天候のように変わり、過ぎ去っていくもの。さらに真の友人たちと一緒に過ごすことで自分の共感力の高さ、ユーモアのセンス、直感的な叡智といった自分が尊重する部分を思い出したのです。

そして、このグループでの変化は前夫との関係にも変化が生じます。
電話で、長女のメラニーの進学のことで前夫のリチャードと話す中で、前夫の意地悪なコメントにもかかわらず、仲間に支えられ受け止められていると感じることで、彼女は彼との古い反応パターンというダンスステップから一歩外に踏み出すことができたのです。

そして、彼女の自信は娘の進学を決める手助けにもなります。娘の不安や恐れに圧倒されることなく、彼女の話に耳を傾けるカレン。二人が話し合って決めたその進学に夫が反対することはありませんでした。

ラディカル・アクセプタンスが対人関係の中で花開くと、真の自分の善良さと美点を信用することを可能にする「魂の再養育」のような関係が生まれます。良い子育てと同じように他者への理解と受け入れはその人たちが本来持つ人間としての価値と居場所を肯定するものです。

誰かの善良さを映し出す鏡になることは、お金で買えない贈り物を贈ること。その祝福の波紋は生涯を通して広がってゆくのです。

レイチェル・ナオミ・リーメンはこう書きます。

最も意味深い目覚めは自分の真の姿を思い出させてくれるような愛情に満ちた親密な関係の中で起きることもあります。イスラム神秘主義のスーフィー師であるイドリース・シャーは、あるイスラム修道僧の物語を語ります。
彼が座るとと彼は生徒や信者にあっという間に囲まれ、皆に愛され、非常に賢く謙虚な人。

彼はどうしたらそんなに神聖になれるのですか?という問いに…「私はコーランの中に何があるかを知っているからだ」。さらに「コーランの中には二つの押し花と私の友人アブドーラからの手紙があるのだよ」とある新参者を優しく見つめ答えるのです。

聖典は私たちを導き、練習は集中力を養い心を静めますが、自分に内在する完全性と輝きは愛をダイレクトに経験することで露わになるのです。私たちの人生は相互依存する世界の中に組み込まれているので、一人ひとりが意識を持って他者と接すると…ルーミーが語るように「私たちの友情が目覚めから」成り立っていれば…個人の苦しみという思い込みは消えてなくなるのです。


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