ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(37)
こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。
第6章 欲望のラディカル・アクセプタンス:切望の源に目覚める
【足りない自分からの目覚め】
リトリートの最後の3日間。サラは耐え難いほどの欲求や恐怖さえも直接身体で感じ、受け止める練習を続けます。一生変わらないとか良くならないという恐ろしい思考にとりつかれても「これも」と言い続けます。
切羽詰まった感情、緊張感と恐れに「はい」と言い、それが自然に自分の中を通り過ぎていくのを待つ…
そして、サラは最大の課題の場である食堂で、この練習してきた受け入れの心と見つめる気持ちを試す勇気のいる一歩を踏み出し、欲望をもつ自分を許し、間を置くことでサラはラディカル・アクセプタンスのへの道を切り開いたのです。
リトリート後、やがてサラは、長年の夢であった大学の学部長候補となり、その決定の日が近づくにつれて、緊張感と共に夜食への欲求が増していくのでした。
ある晩、深夜を過ぎた頃に、2杯目のシリアルにかけるミルク取りにきた冷蔵庫の前でハッと我に返ります。間をとることを思いだし、マインドフルに座るサラ。
自分の頭の中で巡る思考と不安感に注意を払いながら、職場での成功を願うとともに、もしそうでなければどんなに惨めな気持ちになるかをすごく恐れている自分がいることに気づき、展開し続ける自分の欲求に優しいキモチで耳を傾けることで、その支配力から自由になり始めます。
そして、サラは学部長へと就任するのです。
仕事での夢が叶うとともに、内側に吹き出した開放感という真の勝利を手にするサラ。
サラは、仕事に対する不安や避難の気持ちは避けられなくても、反射的に食べものに向かわず、自分自身を許し、優しく受け止める存在になれるのだと信じることができるようになっていたのです。
感情的に恵まれない環境に育つことで、依存性のある行動に出る傾向は強くなり、それが消えることは難しいのですが、時間が経つにつれて、これが苦しみへと繋がるとは限らなくなるのです。
欲望にまつわる感覚、感情と思考をラディカル・アクセプタンスで受け止めることができれば、足りない自分というアイデンティティから目覚め、そんな自分よりはるかに豊かな存在と再び結びつくことができるのです。
そして、そうなるための練習はいつでも可能なのです。瞑想リトリートであっても、忙しい毎日の中でも本質は同じなのです。
自分の欲望をお茶に招き、身体に起きる感覚をマインドフルに見つめ、心に浮かぶ感情と思考をはっきりとした意識で認める。こうして、欲望を澄んだ温かい中庸的な存在感で受けとめることは、反射的なクセを変えてくれ、「自分の人生をいかに生きるか」とい選択肢を広げてくれるのです。
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