脈絡なき脱皮
この夏からわが家に迎えた2匹のザリガニ。少し大きいほうをザーリー先生、もう1匹をザリっちという。ザリガニなんてと思いつつ、息子と一緒に川に捕まえに行ったが、コイツたちが思いのほかキュートだ。
毎朝起きたら挨拶を交わし、ごはんをやる。おとぼけフェイスをしているのに威嚇しているのかハサミをぐわっと持ち上げている。口を忙しく動かしてせっせとごはんを食べている。思いがけず追加されたこの時間は割と癒しになっており、日常のワンクッションとして機能している。
今日もいつもどおりごはんをやり、そのあとは仕事をしていた。しかし、夕方にもう一度見ると、隠れ家用に入れてやっているプランターの中にゴロンと抜け殻が転がっていた。
朝ごはんをやった時は全く脱ぎそうな顔をしていなかったのに。脱いだのかときいてもいつもと同じつぶらな瞳をこちらに向けるだけである。ザーリー先生とザリっちどちらが脱いだのかもわからない。誰に誇るでもなく、ひっそりと生まれ変わって満足しているのだ。
こんな風に軽やかに脱皮できたら、と思う。いや、きっとたまには脱いでいるはずだ私も。実態はないけれど皮的なものを定期的に脱いでいてくれ自分と願いながら、脱皮する感覚で服を脱いで風呂に向かう。
布団に入り、スマホで冬のザリガニ飼育方法を調べていたら、脱皮後の皮は食べるから、カルシウム豊富だからそのまま置いておけと書いてあった。すまん。臭いや汚れの元になると思い、虫や鳥が食べるだろうと庭先の陰に移動させてしまった。庭の虫が強くなってしまう。
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現状打破の役には立たないけれど、コーヒーでひと息つくようなノンカフェイン文章
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