短編小説【慈雨】
【1】翠雨(すいう)
皆。
どうか私の悩みを聴いて欲しい。
私はこの街の天気を決めているね。
天気、気温、湿度。
例えば雨だとして、細かく何時から降り、何時には晴れるのか。どのような雨なのか。小雨なのか、大雨なのか、霧雨なのか、ゲリラ豪雨なのか。概ね一週間の天気を決めて、その通りに遂行するね。
晴ればかり続いても駄目だし、雨が続きすぎても駄目だ。街の人の気分や運命というものは天候に大きく左右される。それこそ雲の流れのように不安定なものだ。
それを預かるのだから、出来る限りの公平さを持って、天気を決めなくてはいけないね。自然な不連続さが必要となるんだ。
誰かにとって、極端に都合の良い天気が続いて、ある人物だけが得をして良いものか。その逆もまたしかりだ。良いわけがない。
これは神との約束なのだ。先祖代々、守り続けてきた約束なのだ。
天気を操る者は公平で誠実で、誰にもその事を知られてはならぬ。
しかし、私はその約束を今、破ろうとしている。
約束に背いた者は声を奪われると爺や父から何度も何度も聞いた。
私は彼女にあの日、命を救われたのだ。
だから、今度は私が彼女を救いたい。
この声など。惜しくない。
許される事ではないとわかっている。
それでも私は今、罪を冒そうとしている。
これは私の罪だ。皆の罪ではない。
どうか、愚かな私を見逃して欲しいのだ。
【2】俄雨(にわかあめ)
「ジョギング初日なのに最悪だよー。」と彼女は言った。
ザァザァ。ゲコゲコ。
「あぁ。おろしたてなのにランニングシューズは濡れちゃったなぁ。わ!泥!やだもぅ!」
悲しそうな彼女を見て、私も辛くなった。申し訳ない。嗚呼、今日を雨の日にしなければよかったなと思った。
夕立。雨宿り。
ザァザァザァ。
この公園のこの屋根つきのベンチに彼女が来た時、偶然の再会を私は大いに喜んだ。お礼をずっと言いたかった。
屋根つきのベンチの横には大きな池がある。この街の人達はこの池の周りを散歩したりジョギングをする。
私はそれを見守っている。
「君は雨の方が嬉しいのかな?ねぇ?」と彼女が私をみて言う。彼女の声は優しく、透き通っている。私を少し撫でてくれた。
彼女はベンチに腰かけ、私を隣に置いた。
ザァザァザァザァザァザァ。
長くて黒い髪から水滴が滴り落ちた。彼女は少し、髪をワシャワシャッとさせた。その時に花よりも良い匂いを感じた。
「当分止みそうもないなぁ。ねぇ。私の話聞いてくれるかな?」と彼女は言った。
ゲコ。ゲコゲコ。
「ふふ。私ね。朝のテレビでお天気お姉さんしてるの。観たことある?あるわけないかぁ。」
観たことがなかった。申し訳ない。
「ちゃんと気象予報士の資格とったんだよー。国家資格で難しいんだよ。」
そうなのか。きっとそれはすごい。天気を決めた私ですら、これで良いのかと毎日悩んでいるというのに、彼女は予報することが出来るのだ。私と変わって貰いたいものだ。
「でもね。もうそれもお仕舞いかも。」
少し。彼女の声は低くなり。笑ってるけれど笑っていないように感じた。
雨音が彼女の沈黙を際立たせた。彼女が言葉を丁寧にこさえている様に見えた。
「私の予報、最近、ずっと予報が外れててね。へへ。番組のプロデューサーに呼び出されてね、来週一回でも外れたらクビだ!もっと若くて可愛いやつに変える!って言われちゃった。太ったから予報はずれるんだー!って。太ったけどさ!関係ないじゃん!…ひどいよね。」
私はとても悔しい気持ちになった。私は私の仕事を全うしたつもりだ。そして、彼女も彼女の仕事を頑張っている。なぜ、そんな悲しい事を彼女は言われなくてはならないのだ。
「子供の頃からの夢だったの。お天気お姉さん。綺麗で可愛くて元気で。頭も良いんだよ。小2の時かなぁ。ずっとお天気が悪くて、もしかしたら遠足がなくなるかも!って時に、テレビの中でお姉さんが『今週は晴れるから行楽日和ですよー!』って言ってくれてね、安心したの、今でも覚えてる。本当に晴れたんだよなぁ。それからずっと憧れてたの。…やっと。なれたのにね。」
彼女は俯いて黙ってしまった。
彼女の眼には涙がたまっている。それを拭って、彼女は言った。
「来週はね。月曜日から日曜日まで雨が続くはずなの!大丈夫!自信ある!」
大丈夫…ではない。私の組んだ予定とあまりに違った。
「梅雨だから、一週間我慢!ソコからはお出掛け出来るから、皆頑張っていきましょー!って。」
さっきまでにはなかった元気いっぱいな声で両手をあげて彼女が言う。
しかし、私の組んだ予定と真逆だ。来週は毎日晴れる予定なのだ。梅雨でこそあるが、全く予報が外れている。
「愚痴を聞いてくれて、ありがとうございました。少しスッキリした!」
彼女がベンチから立ち上がって、ンー!と伸びをした。空と君との間には雲ひとつない世界が広がっている。その世界が奪われるなんて信じられなかった。
ゲゲコゲコゲ。
「あ、晴れてきたー。よかったぁ。またね。あ。ここだと気付かれないで誰かにお尻で潰されちゃうかもだから、池に帰ろうねぇ。アマガエル君。」と彼女はあの日の様に。私を池に優しく返した。
チャポーン。
私が飛び込んだ水の音と彼女が地面を蹴って走りだす音が重なった。
【3】喜雨(きう)
あの日、私は公園の池から勢い良く飛び出した。
先祖代々、我々は。アマガエルは。鳴き続けてきた。
我々が鳴けば雨が降る。それはつまり、鳴かなければ雨が降らない。厳密に何回鳴いて、どのペースで鳴いて、何匹で鳴くか。それで天候をコントロール出来る。
アマガエルのなかでも、先祖代々、その核となる家柄のアマガエルが軸となり儀式を神に向けて行う。月夜。遥か彼方に届くように我々は歌う。
それが嫌になった。
全てが嫌になった。
雨が降ろうが晴れようがなんだというのだ。
誰に誉められるわけでもなく、まして、雨ならば嫌がられる。
いつまで鳴けば良いというのだ。
そもそも私は子供の頃、泳ぐのが好きだったのだ。鳴くために生まれてきたんじゃないのだ。
歌いたくない。歌いたくない。歌いたくない。
私である必要はあるのか。夢もなく、ただ与えられた役目を果たすだけ。
公園の向こうに何があるのか、みたい。行きたい。少しでも池から離れたかった。
大雨の日だった。自分で決めた大雨の日。深夜に滝のような雨を降らせた。
大雨ならば、池に似ているから遠くまで行けそうだと思った。雨天決行。
公園からなんなく、出れた時、自由になれた気がした。
低い雲、ぬるい風、走る光。
巨大な光が向こうからどんどん大きく大きくなって、私に近づいてくる。池の主の鯉の旦那よりも大きくて速いモノをみたことがなかった。
全く動けなかった。
「とまってーー!」
キィィィー!という音が鳴り、光が止まった。私と光の間に彼女が立っている。雨に濡れながら、光に頭を下げて、私を拾い上げて歩道に彼女は走った。
「何してるの!びっくりしたー!もう!馬鹿!」
彼女は私を撫でた。
「信号守らなきゃ駄目でしょ!アマガエルさん!君のせいで私ずぶ濡れだよ!罰として池に戻るの刑!」
彼女の濡れたシャツに貼りつく肌。地面にぶつかる雨音。
「どこも怪我してないかなぁ。うん、大丈夫そう。よかったぁ。ねぇ?家出したの?駄目だよ。皆、それぞれの居場所があるんだからね。友達とか家族心配しちゃうからねぇ。」と言いながら彼女は池まで私を送ってくれた。ずっとその間、頭を撫でてくれた。
「よし、ついた。じゃあね。嫌なことあっても、頑張ろうね。またね」といって、私を優しく水面に飛び込ませた。
私はもう少し、ここで鳴いて見ようと思ったのだ。
彼女にまた会えるかも知れないから。
【4】外持雨(ほまちあめ)
月曜日。
静寂。月がいる。
雲に向かって私は鳴いた。
大声で鳴いた。雨雲が現れて雨が落ちてきた。
一度決めた天気を変えて、雨を降らすにはより多く鳴かなければならない。
雨を降らせることが出来た。いけるのかもしれないと思った。
火曜日。
昨日よりも大声で鳴いた。そうしなければ雲が現れなかったからだ。二日目でこれなのか。なんとかやりきりたい。
水曜日。
少し。声が出なくなってきた。
木曜日に意識が朦朧としてきた。
金曜日辺りには日の境目がわからなくなっていた。
雨の音と匂いが頼りだ。
雨よ降れ。今だけでよいから、私の我儘を聴いておくれ。今度は私が彼女の力になりたい。自分の歌がどんなリズムだったのかすら、わからなくなってきた。
土曜日。
少し晴れ間が見えてしまった時に悪夢だと思った。雲よお願いだ。もう少しなんだ。
彼女に会いたいと思った。最後の力をふりしぼった。声が出ないのであればと身体を大きく振って跳ねた。跳ねた。跳ねた。頼む。頼む。頼む。無情。無力。雨は。止んでしまった。
もはや、声が出ない。
息が出来ない。
嗚呼。
月が綺麗だ。
皆。すまない。
日曜日になる前に私は力尽きて。死んだ。
【5】慈雨(じう)
「それでは、週間天気予報のお時間でーす!とその前に!日曜日!昨日のニュースです!こちらのVTR御覧ください!都内にある公園の映像ですー。こちら見てください、大きな池があるんですけれど。ほら!みて!池中のアマガエルさん達が大雨の中で合唱しているんです!ニホンアマガエルが鳴くと雨が降る!なんていいますけれど、こんなにたくさんのアマガエルの大群が合唱している映像は貴重とのことです!実は私も時々、この公園行くんです!それでね、アマガエルさんとお話して愚痴聴いてもらってて。え?変じゃないですよー。」