
短編小説|鬼丸について
【1】
今から私がここに記すハナシというのは、とある鬼の件についてだ。
鬼に生まれて、鬼であるにも拘らず、鬼として生きることがあまりに下手くそなヤツ。
ヤツは鬼だから、個体に名前などもないが、便宜上、赤井鬼丸(おにまる)とでも呼ぼうか。
元来、鬼というのは種族として大変多くの仕事を持っている。暴れまわる様なものもあれば、独占している仕事、彼等がやって当然、その仕事こそが彼等のイメージを作り上げている、という暴力的で無慈悲なもの。
その全てに向いていない、鬼に向いていない優しい優しい性格を持って生まれてきたヤツのハナシだ。
鬼丸の見た目は鬼の中でもガッシリと大柄、鬼の誰もが一目を置くほどの角がひとつ。真っ赤な身体はどんな血よりも美しい。鋭い牙も生えている。虎柄のパンツも真っ赤な身体に映えていて、立派なドッシリとした腰回り。それが故に、それなのに、優しすぎる性格ゆえ、余計に周りを期待させ、ガッカリとさせてしまい、嫌われる。そんなヤツだ。
鬼は種族として仕事をいくつも持っているが、逆に《他の仕事》をするのは中々持って難しいだろう。
人間界の仕事も、天界や地獄の仕事も《鬼だから出来る》か《鬼だから出来ない》ものばかりだ。
鬼丸は気がつけば、親も兄弟もなく、賽の河原にいた。賽の河原の鬼は、親より先に死んだ子供が石を積んで塔を作っている。鬼はそれが積み上がりかけると走ってきて鉄の棒で倒したり、蹴散らしていく。子供達は毎日毎日、泣きながら塔を積む。
鬼丸も鉄の棒を渡された。他の鬼が鉄の棒で、向こうの三途の川まで届くほどのフルスイングで塔を壊しているのに、鬼丸は「あ、えっと、ごめんね。」と言いながら塔をチョンチョンっと子突くだけ。流石に石の塔はそうそう倒れない。鬼丸が困っているのを見かねて子供達が「こうだよ」と石を蹴っ飛ばした。鬼丸がそれを見て戸惑っていると子供達も戸惑って「明日も来る?」と聞いてしまい、鬼と彷徨う子供達にコミュニケーションが生まれてしまった。鬼丸は周りの鬼にドやされてもフルスイングする事がどうしても出来なかった。
鬼の仕事は沢山ある。
別の仕事ならどうかと配置を変えてやった。
奈落の底、阿鼻地獄。そこで最も罪の重い者が裁かれる場所。そこで罪の重い者をここでは、18人の獄卒、巨大な城、刀の林、銅の犬、8本角の牛に取り囲まれ、鉄の瓦が豪雨のように降り注ぎ体を砕かれ、飢餓のために自分の体を焼いて食べる羽目になったり、巨大な鳥につかまえられて石の山に落とされたり、炎の歯を持った犬に噛み殺されたりと、幾重もの刑罰が繰り返される。
その銅の犬、8本角の牛、巨大な鳥、炎の歯を持つ犬、それらの世話をさせることにした。直接的に鬼の仕事をしないまでも良いからと思ったがダメだ。鬼丸に関わると皆、異様に優しくなってしまう。
銅の犬は尻尾を振って愛想を振り撒くようになってしまったし、8本角の牛は荒々しくなくなってノンビリとしたホルスタインのように温厚になり、巨大な鳥は「鳥はもっと高く自由に飛び立つものだ」と鬼に仕えているのを可哀想に思った鬼丸が逃がしてしまった。炎の歯を持つ犬は吠えることすらなくなって、炎の歯を使った芸を始めてしまった。周りの鬼も、罪の重い者もその獣達をペットの様に可愛がりだした。悪人と鬼がだ。
私は戸惑った。いやはや、何を誰が説いても改心しない悪人どもや、生粋の鬼が。地獄の獣が、鬼丸と関わると変になってしまう。
私は恐れた。地獄。いや、この世界の理が歪むではないかと。
私は鬼丸を人間界に放つことにした。
鬼の仕事《人間界にいる》を与えた。
いるだけでいい。それだけで価値があるのだ。
人間界からすれば、鬼がいるというだけで恐ろしいのだ。きっと、鬼丸も、人間界であれば鬼として生きていけるだろうと思ったのだ。
【2】
鬼丸を人間界に放り出してから、無責任にも私は忙しかった。
いやはや、鬼丸を人間界は日本、その山奥に放り出してから何年が経っていた頃だろう。ふとおもいだしたのだ。
人間界に何人かの鬼を放っているのは、昔からの習わしや習慣、とはいえ、昔ほどの意味もなく、毎年更新更新が続いているというところ。地獄、天界、人間界それらのご近所付き合い。適当な恐怖として鬼らしき者の存在があることで均衡は保たれる。そのために人間界の奴らからしても鬼はやはり必要悪なのだろう。
鬼丸は元来、優しいから、人間界にも向いていた様でなんとかやっているようだ。近くにいた青鬼、便宜上、青野とでも呼ぼうか、青野の紹介で年一の節分の日に人間に豆をぶつけられている。
なるほど、誰かを傷つけずに鬼でいられる仕事なのである。
人間も折角ならば本物の鬼に豆をぶつけたいのである。
毎年、毎年、節分の時期には多忙にして過ごしている様だ。夏だけ活動するミュージシャンの様な暮らしは隙間産業、逞しい。
それ以外の時は治験の仕事をしているようだ。薬品などの効果を試す仕事。人間に試す前に鬼で試す人間どもこそ、鬼であるが、生きるために鬼丸がみつけたものなのだからそれでよい。
人間の知識欲というのは恐ろしい。鬼丸が本当の鬼だとわかると、鬼の治験も始めた。大豆を壁に張り付けた鬼丸に投げつけて、どう身体的に変化があるのかを調べ始めた。飽きたらず、大豆、小豆、空豆、エンドウ豆、カシューナッツ、アーモンド、それらをぶつけてより効果的なものはあるのか、身体的に変化があるのか。あんこはどうか。醤油を鬼丸の手に垂らしてみてどうか。味噌を背中に塗りたくられて、鬼丸が痛そうにしているのを喜ぶ白衣の研究者ども。研究者どもは鬼丸に人間界で生きるための金を鬼丸に渡す。微々たるその金は地獄の沙汰も金次第という信仰そのものである。
他に鬼が苦手なものはないのか?と鬼丸本人に聞く研究者に対して「イワシやヒイラギが鬼は苦手なんですよ。」とただれた腕や手を掻きむしりながら鬼丸が答える。それではその研究もしていきましょうなどと研究者がいうのに「よろしくお願いいたします」なんて鬼丸がいうものだから、私は少し胸がいたくなったと同時に鬼丸に少し嫌悪を覚えた。
二月三日。
青野に呼ばれて鬼丸はとある工場の近くに来ていた。
そこは関東の人里離れた山奥にある【醤油工場】だ。
「ここはずっとお得意さんなんよ。醤油は大豆が原料!大豆をぎょうさん使うんや。商売繁盛!ワシら鬼に向かって、社長や工場長含めた、みーんなで豆を撒く!鬼は外!福は内!ゆうてな。」
青野が鬼丸に発泡スチロールで出来た鉄の棒を渡しながら言う。
「暴れるより、豆をぶつけられてる方が気持ちも楽です!でも、僕らに豆をぶつけたら、商売繁盛するんですか?」
鬼丸が受け取りながら不思議そうに聞く。
「縁起もんやんかぁ!」
「縁起が悪いから祓うんですよね?」
「鬼丸はめんどくさいなぁ!ええんよ!本物の鬼であるワシらに豆ぶつけて大喜び!ワシらもお金貰えて大喜び!誰も傷つけへんやん。ワシらが少し大豆でかぶれるぐらいのもんや。」
青野がこの鬼のお面はいらんよなぁ。なんや毎年工場の人用意してくれはるんやとギャギャギャと笑った。
「鬼丸。ええか。ワシらは鬼やけど外様や。昔はワシも暴れて人里降りてって暴れたり、山奥に生娘生け贄に人間達に持って越させてたわ。」
「あ、はい。あるらしいですね。聞いたことあります。」
「な。でももう、そんなんちゃうから。地獄に行くより、人間とエェ距離でな。やってくぐらいが楽や。賽の河原で子供達が塔を作ってるの鬼達嬉しそうにバーン!って倒してるけどな、あんなもん、あいつらもずっと河原おんねんから、子供達とおんなじで縛り付けられて罰受けてるようなもんや。」
「そうですね。皆で協力して塔を作ったら良いのになって思ってました。倒さなきゃならないなら、余分に倒す用の塔を作るとか。」
青野は鬼丸は優しいけど、やっぱり変だなぁとまた、ギャギャと笑った。
「ほな、時間やなぁ。ちょっと工場の人と段取りしてくるわ。まっててやぁ。」と青野は鬼丸に言った。
その時だ。
ダァァァァァァァアアアン!!!!
醤油工場の奥側。入口側にいた鬼丸達からしても反対側。醤油の巨大なタンクが破裂、爆発、破壊される大きな音がした。
工場から多くの人がワラワラと出てくる。
「鬼だぁぁぁ!!!」と誰かが叫んだ。
青野と鬼丸は醤油の巨大なタンクの方へと向かっていった。
【3】
そこには異形の恐怖がいた。
鬼丸と青野は思った。
「オニだ。」
と。
霧のような実態がない、ナニカ。
怒り、憤怒、悲しみ、絶望、妬み、嫉み、怨み、と呼ばれる様なナニカが現世と彼の世の境目を揺らぎながらそこにあるのかないのかも、どうかもわからない程度に暴れている。
逃げ惑う人々を飲み込むかの様にそれは、工場一体を飲み込んでいく。
居ないのに確かに居る。無いのに確かに或。
何人かの人間が騒ぎながら豆を投げつけても霧のようなナニカに豆が当たるわけもない。なんならば、プシューーーーっとタンクから漏れ出す醤油は霧状になり、ナニカと醤油が混ざりあっていく。
理解する事ができない【ナニカ】であるそれは工場の安全第一と書かれたタンクの周りに濃霧の様に或る。
茶色くて深く黒い。
「オニだ。我々とは違うオニだ。」震える声で、青野が言った。
「鬼ってのは存在やない。概念や。ナニカわからんものを魑魅魍魎、妖怪、鬼って事にして人間が無理矢理ナニカわかるものにしてきた。それが形をもったり、それになるために寄せていったりするが、その途中の実体と概念の間みたいな。存在してはいけないけれどあるもの。形になったらアカン存在が形になりかけてる限りなく純度の高い鬼や。アカン!逃げよう!」
「僕らが逃げたら工場の人達はどうなるんですか。」
「人間のことなんかしらんわ!」
鬼がナニカわからない、オニに、怯えている。人間も鬼もナニカわからないまま、暴れているオニに怯える。
「もしかしたら、あのナニカは、鬼のためにしてるのかもしれません!」
「どういうこっちゃ?!」
「豆をぶつけたり、醤油を作ったり。鬼が苦手なものを鬼のために破壊しようという正義感でナニカは闘ってるのかもしれないです!」
「ズレまくっとるがな!」
「立場が違うとズレが生まれるのかも。鬼なのか、ナニカ、わかりませんけど。僕はナニカと話してみます。」
「会話してどうこうなるんか!怖い、形のない霧みたいなやつやぞ!口ないのに話せるか!?」
「こうやるんです!!!」
鬼丸はフゥゥゥーーと肺の中の空気を全部吐き出すと顔を上げ、足を開き、一気に
ブオオオオオオオオオオオオ!!!!!
と一体の空気を吸い込んだ。
周辺に立ち込めていた霧の様なナニカを全て残らず吸い込んだ鬼丸は「もう大丈夫。このオニというかナニカは僕と一体化しました。」
青野は思わず「何をしてんねん。何言うとるねんお前。」と呟いた。
鬼丸がこのナニカは怯えているみたいだから、落ち着くまで僕の身体にナニカを入れておきます、なんていうもんだから、青野もとりあえずそれで言いかと思うことにした。
そこへ、工場の人達が集まって来た。
事情を説明しようとする鬼丸に工場の人達は豆を投げつけた。
「お前達のせいだ!鬼は外!福は内!」と。
青野と鬼丸は少し、躊躇したが目を合わせて頷き、「チ、チクショー!」と叫びながら、工場を後にすることにした。
【4】
『鬼丸についての報告書』
この話はここまでとなる。
今回の一連の件は私、この閻魔大王に預からせていただく。
この話は私が地獄より彼等を見たもの。青野と赤丸からの証言を組み立てたもの。それを報告書とさせて貰う。
私も知らない存在であった【限りなく純度100%に近いオニの存在】が世間に知られると、人間界、地獄、天界のバランスは崩壊しかねない。
ギリギリのバランスを保つため、赤丸が吸い込んだナニカの研究を、人間界の研究所と協力して行う事になった。彼等しか持っていない赤丸のデータもあるからだ。
鬼丸も協力を志願してくれた。鬼や人間のためになるならと。
血液検査を人間がした所、多量の霧状になった醤油を吸い込んだ事で塩分過多、血圧が普段より高くなっただけで他に変化は見付からなかった。
私には【鬼になりきれなかった優しすぎる個体、鬼丸】と【限りなく純度100%に近いオニ】が混ざりあって、とんでもない恐怖が生まれるのではないかと思えて私は仕方がない。
恐怖とは訳がわからないから恐ろしいのだ。形に落とし込んだり、形を与えたり。罰を与えて償うことで緩和される。ただそこにある恐怖。意図も根拠もない恐怖より恐ろしいものは私には想像すらつきはしない。恐怖は何処にでも漂い、我々を包みこんでいる。それらから逃げるために地獄も鬼もいるのだ。