人間とは物語る動物="Homo narrans"である。[AI narrans❶]
前回の記事でお話しした通り、今回から私がIEEE BigData 2024で発表する論文の内容について発信していこうと思います。
前回の記事をまだご覧になっていない方はこちらから。
今回は私の研究の根幹となるhomo narransという言葉の起源、そしてそこから私が提唱するAI narransの概要について解説したいと思います。
人類の定義の歴史
皆さんは、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)という言葉をご存知でしょうか?
誰もが人生で一回は耳にしたことがあるようなこの言葉ですが、Homo=ヒトを意味するラテン語の男性名詞、sapiens=賢いを意味する形容詞であり、私たち人類が属する種の学名として用いられている言葉になります。
この言葉は18世紀の生物学者であるリンネが、人間を生物の一種として他の生物から区別するために与えた学名であり、歴史を辿ると、この頃の人類にとって「人間の定義」というものが非常に重要な課題であったということが分かります。
実際にこの時代において、ドイツの哲学者カントはHomo phaenomenon(現象人)、フランスの哲学者ベルクソンはHomo faber(工作人)、オランダの歴史家ホイジンガはHomo ludens(遊戯人)という言葉を生み出していることから、多くの先人が「人間の定義」に挑戦していたことが分かります。
こうした歴史の中で、私は一つの定義に着目しました。
それは、コミュニケーション理論の研究者であるウォルター・フィッシャーが提唱した、「人間=Homo narransである」という定義です。
人間とは本質的に物語る動物="Homo narrans"である。
ウォルター・フィッシャーは自身が提唱した理論であるnarrative paradigmにおいて、こう述べています。
この理論を基に心理学者のジェローム・ブルーナーは、1991年に自身の代表的な論文「The Narrative Construction of Reality(現実の物語的構築)」にて、このように述べています。
これらを踏まえると、私たち人間にとって物語るという行為は単なる娯楽的役割を超え、私たち自身のアイデンティティを形成し、文化的知識を構築し、複雑な人間関係や社会構造を規定する役割を果たしていると言えます。
実際にこれらの仮説を実証するための様々な実験が行われており、
といったことが明らかになっています。
こうした実験結果を踏まえると、ウォルター・フィッシャーの人間=Homo narransという主張は正しいと言えるのではないでしょうか。
LLMは物語るAI="AI narrans"になりうるか
人類の定義の歴史についての振り返りは終わり、話は現代に戻ります。
現代では、GPTに代表される大規模言語モデル(LLM)の大幅な技術的進歩によって、対話能力や指示に対する応答能力が飛躍的に向上し、もはやAIが生成したテキストが人間と見分けがつかないレベルにまで到達しています。
こうした技術の進歩は、私たち現代を生きる人間に対して、これまでになかった新たな命題を生み出しました。
それは、人間とAIの違いは何なのか?という命題です。
この記事をお読みになっている皆さんは、どのような考えをお持ちでしょうか。
私はこの命題に対して、人間のHomo narransとしての在り方に、人間とAIの違いを紐解くヒントがあるのではないかと考えました。
さらに、両者の違いを紐解くことで、人間(=Homo narrans)の物語る能力を模倣したAI、すなわちAI narransを生み出す上での重要な洞察を得ることができるのではないかという仮説を立てました。
ここまでの話をまとめると、私の主張は以下の通りです。
人間とLLMの物語る能力を比較することで、両者の言語処理メカニズムの共通点と相違点を明らかにすることはできるのではないか?
そして、両者の違いを明らかにすることで、人間(=Homo narrans)独自の物語る能力を模倣したAI(=AI narrans)への洞察を得ることができるのではないか?
少し駆け足になってしまいましたが、ここまでが私の論文の導入部分になります。
終わりに
誤解なきよう言っておくと、AI narransという用語および概念は私の造語になります。(なので、現状私しか使っていません)
一方で、私の研究内容を簡潔に説明する言葉であり、かつ研究の苦楽を共にした(?)仲でもあるため、今では非常に愛着のある言葉になっています。
noteを通じて、一人でも多くの方にAI narransという言葉が認知されれば嬉しいなぁとぼんやり思った次第です。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。