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継続に必要なのは根性じゃなくて家族の協力とお金
去年、新たに重い病気を発症して通院が増えた母。すでにいっぱいいっぱいなのに、いつまで治療を継続できるだろう…と考えると、本人も私もはじめは思考が停止した。
あれから一年半、いまでは当たり前のように通院を続けている。
そうは言っても去年のいまごろは本当にきつかった。
私はあまり体力がない。大きな大学病院への通院は1日仕事で、帰宅後はぐったりとして何も手につかず、ドリンク剤を飲んでひたすら寝ていた。
翌日も、さらにその翌日ぐらいまでは、ドリンク剤を飲まないと起き上がれないほどきつかった。
おかげで仕事の量を減らした。当然、収入が減った。一方で出費は増えた。
「こんな生活、いつまで続けられるかな…」
そう考えると怖くなるから、とりあえず1年は考えないと決めた。
何か新しいことを始める前は、始めようかどうしようかを一生懸命に悩む。けれど始めたあとは、どうやったら続けることができるかを一生懸命に考えるようになる。だから、悩んでいるならとにかくやった方がいいと私は思う。始めることで、必ず打開案が見えてくる。
けれど、始めたものの続けるのが大変すぎて「やめる」という選択をする人が大勢いるのも事実で、だから「とにかくやるべきだ!」と安易に言いたくはない。
「やめてしまう人は根性がないんだ」とか、「もともと本気じゃなかったんだ」とか、「本来、やる必要がなかったんじゃないの?」とか、いろいろに言う人がいるけれど、それはちがう。
たとえば母の例でいうと、母が発症した「加齢黄斑変性症」という病気は、発症したが最後、治ることはない。治療することで、病気の進行をおさえることができるだけだ。
つまり、治療をやめるとふたたび症状の進行がはじまり、やがてほとんど目が見えなくなる。そこまで何年かかるかは人によって違うけれど、そうならない可能性はゼロだ。
そう聞くと、「当然、治療を続けるべきじゃじゃないか!、それ以外の選択はありえないでしょう!」と思う人が多いだろう。私もまたそう思った。
でも現実には、治療をやめてしまう人も少なくない。通院が大変で、治療費が高額で、しょせん自分はもう高齢だからだ。最初は通院に付き添ってくれた妻や夫が亡くなったり、子供にいつまでも付き添いを頼むのは申し訳ないと感じたり、お金が底をついたり…。
もう治療をやめようと思いたくなる理由は、年を追うごとに増える。彼らには根性が無いのか?、治療の必要など最初から無かったと、いったい誰が言えるのか?
病気を受け入れる勇気と家族に甘える勇気、この両方の気持ちがないと闘病はできない。そしてもちろん、家族の協力とお金がなくてもできない。
母に治療を受けるよう説得したまではよかったものの、お金も体力もなかった私は、なんとかしてその両方を増やす方法を毎日考えるようになった。
どっちもある日突然には増えない。段々と、ゆっくりでいい。なんとなく去年よりはゆとりがあるね、この調子なら続けられそうだね、1年後にそう思えればいい。
母が眼の治療を始めてから1年半、いまもまだ生活にゆとりはない。でも、医大への通院はすでに生活の一部になっていて、学生時代よりきびしい家計のやりくりにもだいぶ慣れてきた。
通院帰りのドリンク剤はもう飲んでいない。
きついには変わりないけれど、飲まないとどうしようもないという気持ちはなくなった。ドリンク代が惜しいと思える程度には、体力がついたんだろう。来年のいまごろは、今年よりもっと身体も家計も楽になっている気がする。
「この調子なら続けられそうだ」