田中 厘

在宅ライター。枠にとらわれない記事を書いてみたいなと思い、noteをはじめました。

田中 厘

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マガジン

  • ストーリーにふれない映画紹介

    映画を観るとき、事前情報としてストーリーはそれほどに重要ですか? 私は映画を観て心から驚きたいし、たくさん感動したいから、あえてストーリーを知らない作品もよく観ます。 だから、ストーリーに触れない映画紹介をしたいなとずっと思っていました。これはそんなマガジンです。

最近の記事

マシュマロ

母は人を引き寄せる不思議な力を持っている。 先日も、病院の待合室でついさっきまで椅子にちょこんと1人で座っていたのが、ふと見ると知らない人と楽しそうにキャッキャと笑顔で喋っていた。 「あの人、知り合い?」と後でたずねたところ、「ううん、横の人に突然話しかけられたの」と母。 人見知りの母が知らない人に自分から声をかけることはまず無い。道を尋ねるだけでも相当な勇気がいるらしい。けれど、知らない人に話しかけられる分には、どうやら抵抗が無いのだろう。 そして、いきなり声をかけて

    • 竹を割ったような性格

      母は父方の祖母のことを「竹を割ったような性格だ」と何かしらにつけ言っていた。そして、私を見ては「あんたはおばあちゃんにそっくりね」とよく言っていた。 竹を割ったような性格ってどんな人だよと、子供心に首をかしげていたけれど、なんとなくまっすぐなイメージではある。でも、中は空洞なイメージもあり、喜ぶべきか反論すべきか分からず、これを言わたときはとりあえず沈黙することにしていた。 というのも、母はたいへんな皮肉屋で、彼女のことばには多かれ少なかれ「うら」がある。親子でなければ、

      • 継続に必要なのは根性じゃなくて家族の協力とお金

        去年、新たに重い病気を発症して通院が増えた母。すでにいっぱいいっぱいなのに、いつまで治療を継続できるだろう…と考えると、本人も私もはじめは思考が停止した。 あれから一年半、いまでは当たり前のように通院を続けている。 そうは言っても去年のいまごろは本当にきつかった。 私はあまり体力がない。大きな大学病院への通院は1日仕事で、帰宅後はぐったりとして何も手につかず、ドリンク剤を飲んでひたすら寝ていた。 翌日も、さらにその翌日ぐらいまでは、ドリンク剤を飲まないと起き上がれないほど

        • 「かあちゃん」のオープニングに猫好き根性が引き寄せられる

          自宅で録画しておいた映画を観るときは、映画館で作品を観るときと違って、時間の強制力がありません。 だから、見始めるまでは「今日はこの作品を観よう」と思っていても、最初の1分がやけに長く感じたら、観るのを止めることもよくあります。 「かあちゃん」のオープニングでは、画面いっぱいに上の画像のような穴だらけの障子が映っていました。上の画像は我が家の障子です、犯人は鎮座している猫。 おそらく作品と猫は関係ないと分かっていても、きっと多くの猫好きさんはあのオープニングにやられるでし

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        • ストーリーにふれない映画紹介
          2本

        記事

          「太陽がいっぱい」と「リプリー」

          昨日、BSの番組表を見ていたら「アラン・ドロン、ラストメッセージ」という番組名がたまたま目にとまり、録画予約しておきました。 80歳を過ぎてなお、「魅せる」ことへのこだわりが強いドロンは、おしゃれなロングストール姿で登場。のっけから釘付けです。 「アラン・ドロン、ラストメッセージ」 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92225/2225603/index.html 私はリアルタイムでドロンの映画を観た世代ではありませんが、10代

          「太陽がいっぱい」と「リプリー」

          ガイド本との出会いは幸先

          書棚に並んでいるなつかしい旅行ガイドブックたち。 若いときは仕事で知らない土地へ行くのが旅行だった。 わずかな時間を作っては、 ガイド本を頼りに人気の観光スポットへ足を伸ばした。 写真はほとんで撮っていない。 だからガイド本の山が旅の記念で なかなか捨てる気になれずに残している。 きっともう二度とページを開くことはないのも分かっている。 旅の幸先などは気にしない質だが 気に入るガイド本を見つけると行く前から気分がいい。 ネットもスマホも当たり前じゃなかった時代、 何件も

          ガイド本との出会いは幸先

          9年ものゆううつを経てようやく手に入れた当たり前の日常

          10代最初の8月31日の気持ちは、ほとんど覚えていない。 8月31日だけじゃなく、10歳のときに何があったのか、1年間の記憶がほとんどないのだ。 社会人になったある日、実家に帰省して母とおしゃべりをしていたら、なぜか小学校のときの話になって、「4年生のときは、あんた、ほんとにつらかったね…」とぽつりと母が言った。 「え?、何のこと?」 と私が言うと母はおどろいて、 「あんた、覚えてないの?」 「何のことかくわしく聞かないと分かんないよ、なに?」 「いい、何でもない

          9年ものゆううつを経てようやく手に入れた当たり前の日常

          はしゃぎ過ぎた炎節

          年に一度だけ、泊りがけで芝居を見に行く たいていはミュージカルか歌舞伎で その年は炎節に公演されるエリザベートを選んだ 最高のおしゃれをしたくて 綿麻の着物に博多織の帯を締めて出かけ 見せびらかしたい気持ちもあって 早めに劇場に到着して開演時間まで街の散策を楽しんだ この日は特に暑かった 劇場内はエアコンが効いているのに異様に身体が熱い おまけに、集中できなくてセリフがちっとも耳に入って来ない まさか熱中症…? そのうち椅子に座っていられないほどめまいがひどくなり

          はしゃぎ過ぎた炎節

          涼飇が戻った日

          海は苦手。 幼いころ、海でおぼれて死ぬかと思った経験がある。 祖母の家に行くときは、いつもフェリーの中で 船酔いをして吐いていた。 それでも、若いときは 誘われたら我慢して海にも行っていたけど、 30代に入ってから知り合ったいまの連れ合いには 海は苦手だと最初に告げた。 皮肉なことに、彼は学生のころ水泳をやっていて 海が大好きだった。 私の心を何よりも大事に考えて、 海には近づかないように気を配る彼に言った。 「海に入るのは怖いけど、見るのは好きだよ」 うそじゃない。

          涼飇が戻った日

          旅は埋もれた恋草に日を当てる

          2月に初めて北海道へ旅をした。 北海道は長年のあこがれの地で、 仕事の旅だったけれどワクワクした。 仕事の空き時間は長くはない。 足を伸ばせる場所は宿の近くに限られている。 せめて一箇所ぐらいは念願の観光地に行けないかしらと 出発の直前までガイド本を毎日めくった。 旅に出るひと月ほど前に短い恋が終わった。 相手は仕事仲間で家庭があった。 無邪気な少年のように私に恋をした彼は ほどなく涙顔で別れを告げた。 その彼もまた旅の同行者。 まだ消化できていない感情がもやもやと騒ぐ

          旅は埋もれた恋草に日を当てる

          旅のみちづれは差添い

          ある年の夏、南の島に姉とサンゴ礁を見に行った。 初日、姉は大はしゃぎで マークしていた観光スポットを 時間の許す限りレンタカーで走り回った。 夜になってもまだ出かけたがったが、 姉は元々あまり体力がない。 「私は行かないよ、ひとりで行けば?」 こう言うとようやく諦めたがどうやら遅すぎたらしい。 翌朝、目が覚めたときはすでに姉は熱があった。 小さな宿だったから、宿の方も随分と心配して 度々ようすを見に部屋に来てくれた。 私はというと、 姉が暇つぶしに持って来ていた本を

          旅のみちづれは差添い

          昧爽の贈りもの

          同じ日に仕事を休むのが難しい彼と、 ようやく取れたふたりの休日。 年にいちにどしかない、 一泊二日の二人きりの貴重な時間。 星に手が届きそうだと言われている 山あいの村へ出かけて宿をとった。 念願だった。 当日はあいにくの雪で、 空には厚い雲がかかっていたけれど、 私たちは幸せだった。 「雲が晴れるといいね」 そんな会話を楽しみながら 0時を回ったころ、あきらめて眠った。 昧爽に突然目が覚めた。 眠りが浅い私にはよくあることだが、 何かしらの予兆のような気がして落

          昧爽の贈りもの