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治療が始まったぞ⭐️その②
はーい、またせたな!
ペーペーです。
今回は寛解1回目についての回です。
前回の記事↓↓
その①では体調と服薬についてお話ししました。
寛解に至れた理由は結論からいうと
「自分は病気であるということ」
「今の自分の思考や認知は歪んでおり、それが故に発症した」
ことを受け入れられたことです。
服薬治療をしていることが大前提ですが、やはりこれが大きかったと思います。
治療開始の最初の一年弱は元の自分に戻りたい、こんなの自分じゃない、自分は鬱ではない!業務量や環境など周りが悪いと抵抗を続けていました。
もがき苦しみ、弱い自分が悪いんだと自分を責め、仕事さえもまともにできない自分に失望、周囲の人々の言葉が嫌味に聞こえ攻撃的になっていきました。
他人にイライラし、余裕がない。
常に気持ちは底辺、みんな助けてくれないから自分でやるしかないと謎の義務感とマイナス思考でどんどん抱え込みました。
これも後日記載ですが、自分は機能不全家族で育っています。今でいうヤングケアラーです。
それ故、物心ついた時からその分野の本はなんとなく読み漁ってはいました。
そこに、今回の発症です。
元来、調べることが大好きな自分、そりゃもうその分野の本やネット記事、厚労省HPや学会論文、記事までを片っ端から読み漁ります。
その結果、外的要因もあるが自身の心の叫びを頭で押さえつけ、心に休息を与えなかったツケが来た。
これは自分の頭と心の戦いで生きている限りついて回るものだという結論に至りました。
この結論もすぐ受け入れられたかというとできるはずもない。
できてたら発症してないですしね。
それに調べることができ始めたのも治療を開始して半年は経っていたと思います。
当時、お国様の事務連絡さえまともに読めなくなっていましたし、ブラック部署が過去一の激務期にあり家には寝に帰るだけの日々。
家より職場にいる時間が長い!笑と当時は同僚と笑ってましたが、なんと恐ろしい会話です。
自覚はしてもこれを事実として受け入れるのに一年弱はかかったと記憶しています。
長くなったので一旦ここで〆ます。
かしこ