台湾人にしか描けない社会がある——台湾在住ノンフィクションライター近藤弥生子さん推薦の言葉
「日本人の目線で台湾を見て、どう感じますか?」というのは、台湾メディアの取材で必ずといって良いほど聞かれる質問だ。
「『日本人』という括りに甘えてしまっていいのだろうか」と躊躇しつつ、なんとかして答えてはいるものの、立場を逆転してみると、そこには確かに「台湾人ならではの目線」というものも存在するように思う。
台湾で暮らす生活者でありながら、ライターとしての私は、外国人としての立ち位置を意識的に取っている。この先の台湾暮らしがどれだけ長くなったとしても、このスタンスはおそらく変わらないだろう。でも、少しも疑うこともなく「この社会は自分たちのもの」と社会を自分ごとにしている台湾人たちを見ていると、時折とてもうらやましくなる。
当の台湾人にとってしてみたら、台湾人同士だからこそ発生するしがらみは、正直とても面倒で、手間も時間もかかるものなのだろう。ただ、そうしたものに向き合って初めて得られるのが、台湾人としてのアイデンティティなのだという気もする。
原作者の陳柔縉さんは、そうしたものにきちんと向き合った人のように思う。
『高雄港の娘』を読んで、よりその気持ちを強くした。
直接お目にかかったことはないけれど、優秀な政治記者であり、特に日本統治時代の台湾や日台関係について独自の視点から取材執筆を続けた作家でもあり、カルチャー界にも大きな存在感を放っていた人物、という印象だ。
だからこそ、暮らしの中で個々人が持つ打算や野心、台湾人と中華民国や日本との距離感、その狭間に生まれる複雑な心の機微をこんなにもありありと描けたのだろう。
台湾で暮らしていてもなかなか表には出てこない台湾人の心のうちが、ファミリーの中での会話が、この作品の中ではとてもリアルに浮かび上がってくる。
台湾人にしか描けない社会には、日本も大きく関わっている。日本による台湾統治が終了して、来年で80年。当時を知る世代が引退していく時代の節目で生まれたこの小説の中には、台湾でよく耳にする日本統治時代の話が、フィクションとしてあちこちに散りばめられている。さらに、時代も国境も跨ぎながら一人の女性の人生を描く大胆な構成には大変驚かされた。ひとえに書き手の力量によるものだろう。
そんな作品の翻訳を田中美帆さんが手掛けられたというのも、台湾がもたらした不思議な縁だと思う。友人として傍らで仕事ぶりを見せてもらってきたけれど、こんなに真摯に作品や人物に向き合う仕事人はなかなかいない。
台湾人にしか描けない社会が確かに存在して、それをまとめきった作者がいた。それをできる限り理解し、日本に伝えようとする仕事人がいて生まれたのが日本語版の『高雄港の娘』だ。この作品の誕生を心から祝福する。
2024年10月
近藤弥生子(台湾在住ノンフィクションライター)