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キャリアは偶然に左右されるが、その偶然は、自分が起こした行動による。
キャリアコンサルタントの勉強をしたり、キャリアの本を読んだりすると、たいていの人が、「これ、好き!だって、実感があるんだもん」と共感を示し、「おススメ理論」として挙げるのが、たぶん、クランボルツの「計画された偶発性理論」(プランドハップンスタンスセオリー)だろう。
わたしも最初にこの理論を聴いた時、それは、キャリコンなど全く目指していない年齢の時ではあったが、「すげー」と思ったものだった。
大学時代、教育学を修めた私がDECというコンピュータメーカーに入社し、講師職に就いたのは、教育学を修めたから、ではない。
ゼミの教授に「就職先、わからない。どうしたらいいでしょう?」と相談しに行ったところ、「これからはコンピュータ関連がいいんじゃない?女性も長く働ける環境を技術を使って真っ先に整えそうだし」というアドバイスを受けたことがきっかけだった。
「SEという職種があるのか」と知り、SEについて調べ、「どうやら、適性検査に通るかどうかでまずは道が分かれるらしい」(85年当時)とわかったので、いくつかの企業をお試し受検(失礼なんだけど)し、内定をいただいた。ああ、これならSEというものいけるのかな?と、コンピュータ関連の会社を「学生版とらばーゆ」(昔は、自宅に送られてきた)を端からめくっていたら、「DEC」を発見し、さらに、「技術教育エンジニア=お客様に教育を提供する職種」というのを見つけ、「教授に進められたコンピュータ関連の会社だし、教育学を修めていた私にもなじめるかも」と思って、応募したのだった。
教授に相談に行かなければ、コンピュータの会社など、受けていない、絶対に。
その後、泣きながらITを学び、全然合わねーと思いつつも、講師力だけは高まって、そうこうするうちに、「後輩講師の卵の育成」を見様見真似で始めた。それを見ていた上司が、当時は景気がよかったので(90年頃のバブル真っただ中)、「だったら、DEC-US本社の”Instructor's Skills"というコース、受けてきたら」と、何のミッションも与えられず、遊学みたいな感じで、アメリカに渡った。単身で。27歳で。
そこでそのコース内容にものすごい衝撃を受けて、上司には何ら指示されていないけど、「日本でもこれを開催したい、翻訳して実施するのって、可能なのだろうか?」とかの地で思った私は、DEC-US内の社内電話帳をめくり続けて、プロダクトMGRを探し当て、ヘタクソ英語でアポを取り、面と向かって、
”I took the course named "Instrutor Skills 1" last week.
I was so impressed. Can I deliver this program to Japanese cusutomers?
Is there any conditions to do it?"
みたいなジャパングリッシュを繰り出し、交渉。「それ、いいね。」と一言言われて、帰国した。
それが、現在、トレノケートで開催している「トレイン・ザ・トレーナー」である。
34年くらい同じコース(改訂はしているが)を提供し続けて、国内でも数千人の講師を育成している。
といったそういう経緯を思い出したら、
・教授に相談に行ったから、コンピュータメーカーに応募したんだったな
・ITダメだったけど、講師を育てるのって面白いと思って自主勉強会みたいなのをやり始めたな
・それを見ていて、US行くか?と上司に言われ、はい、と返事したな
・アメリカで感動して、現地で勝手に交渉してきたな
みたいなことが全部「自分で起こした偶然だった」と意味づけができ、
行き当たりばったりで、その時々で好きなこと、興味の持てることに邁進してきたけど、これはこれでキャリア形成なんだ、と納得できたのだった。
・・・というわけで、今日はインタビュー。
20代のころにこんな風にキャリアが変わっていくという人生があるのか、という話をしてくれた同僚の話。あまりに面白いので1億2000万人にぜひ聴いて欲しい。
美術館キュレーターになりたかったし、資格も取ったのに、なぜ今、人材育成企業で法人営業なのか・・・。偶発性の連続です。