誰かに頼ることは、「弱さ」ではない。
正月休み、10連休中の7日目。
連日、映画を観にいっている。
今日1/3は「グランメゾンパリ」を見てきた。思っていた以上に良かった。
「仕事」について考える機会となった。
ネタバレになるのでここから先は、気を付けて読んで欲しいのだが、
・・・・いいですね、多少ネタバレになりますよ・・・
・・・・・・
「独善的」だったシェフ。どんどんうまくいかなくなって、経営も行き詰まる。だが、途中でその姿勢を改め、「周囲の意見を聴きながら、料理についても、原点の想いに回帰してレストランを復活させる」といったお話だった。
ある領域で自信があったりすると、つい、自分の考えが全てで、他者の意見に耳を貸せなくなったり、自分がそのことについて一番なのだという気持ちで突っ走ったりしてしまう。(ということが描かれている)
そして、周囲は離れていく。あるいは、萎縮している。はたまた、あきれている。つまり、チームワークはどんどん悪くなる。
独善的な人は、メンバを尊重しない。尊重されていないことをひしひしと感じている周囲のメンバは、仕事が楽しくなくなる。
絵に描いたような展開である。(映画なんだから当然だ)
ただ、これって、とてもよくわかるなぁと思った。
あることで評価された人が、たとえば、課長になる。課長として評価され、部長になる。部長として評価された結果として事業部長になる。事業部長でも評価されて、やがて役員になる。役員としてもいい仕事して、社長になる。
もう自信満々になるし、一方で、誰かが自分を凌駕したらどうしようという不安も抱えるはずだ。自覚していなくても、自分より凄い人の存在を許せないというか、自分より凄い人はいないことにしたい、あるいは、本当にそういう人は採用しない。それが自分を守ることになるからだ。
そんな風にして、人は独善的になっていく。
どんな場所でも起こりうることだなぁ、と思いながら、大きなスクリーンのキムタクを眺めていた。
「あなたは人に頼るのが下手だ」とメンバから指摘される場面があった。(セリフは正確じゃないと思う)
少しずつ気持ちがほぐれて、反省して、みんなに頭下げて、全員の意見を聴き、任せていく。そういうスタイルに変わっていく。
そうしたら、結果が出るようになっていった。
シェアドリーダーシップって、こういうことだよ、って思った。
シェアドリーダーシップ。リーダーシップをシェアする状況は、全員で作るものだけれど、まずは、立場上の、役割上のリーダーが「リーダーシップ」を「シェアしよう」と覚悟することが大事だ。
リーダーが「シェアドリーダーシップ」を信じていなければ、メンバはリーダーシップを発揮することはできない。
メンバ一人ひとりの力量を信じ、頼り、任せていくこと。
これが、リーダーに求められる覚悟。
頼ることは、決して「弱いこと」の証ではない。
本当に「強い」からこそ、周囲に「頼れる」のだろう。
誰かを「頼れる」人ほど、きっと「強い」人なのだ。
※60代になって何が良かったって、唯一といっていい「映画が1000円」ということである。
auシネマ割というのを使って、1000円。
これ、大きい。