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ブラックもやってらんないが、ホワイトでも不安になる。

昭和61年(1986年)に新社会員になりました。殴られるとかモノを投げつけられるというレベルの仕打ちは受けたこと、ないのですが(外資系だったし)、でも、それなりに、セクハラもパワハラもありました。

これは、既にVoicyで2回は話しているので、公開情報なのだけれど、新入社員研修の最後のほうで、先輩から呼び出されて、「今から配属について話します」みたいな場がありました。
OHP(懐かしい)に私たち新入社員の成績が棒グラフになっていて、「平均点」順に1位から並べてあったのです。部屋の電気は消してあったので、真っ暗なな中、OHPの灯りに灯される先輩の顔。

グラフは少しずつずらされて投影され、最後の一人、というところで、投影される前に手が止まりました。最後は、私なんです。しかも、その前の人たちと大量の差をつけたどん尻。

「はい、ここまでに成績が出てこなかった人、誰だかわかりますよね」

「田中さん、配属先がない、とマネージャたちが言ってますが、どうするつもりですか?」

そう大勢の前で言われたのですよね。配属先がない、ってことは本当はないのです。職種別採用で、最初からどこに配属になるか決まっている仕組みだったので。でも、そうやって、大勢の前で、成績のグラフも投影されずに詰め寄られました。

当然、号泣です。なんせ23歳ですから。

というようなことくらいは、普通にありました。昭和時代。

これ、パワハラですよね、完全に。

嫌がらせもいいところだわ。この先輩、今思うと、30代前半のはずなのです。なんてこった。

まあ、そんなわけで、酷い目とか腹立つ思いとか理不尽に耐えながらもなんとかここまで来たのですけれど、昨今は、法改正も様々に進み、職場は、とても居心地よくなりました。

ホワイトだから、腹立つことは激減しているわけですけど、若手社員にとっては、そのホワイトさが、不安の種になることもあるようです。

「自分は、ちゃんと鍛えてもらえているのだろうか」
「自分は、もっとストレッチしないといけないんじゃないか」
「もっとハードな体験をしておいたほうがいいのではないか」

などなど。

昭和のようなマネジメントは、私だって二度とごめん、ですけれど、かといって、ホワイト過ぎて不安というのも分かる気がします。

中庸って難しい。

働く環境、人間関係が穏やか、とか、言葉の使い方が上品、ということと、仕事上、厳しいというのとを両立させるマネジメントが必要なんですよね。それ、高度ですよね。

だから、昭和時代にマネージャやっていた人が、「俺は、100人の部下がいた」などと自慢することがあるのだけれど、「それ、時代違うよね、今のやり方で100人持てないよ」と心の中でよく突っ込んでいます。

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