見出し画像

見れば見るほど ー『オープニング・ナイト』

 カサヴェテス作品はこれが初見だったのだが、とにかく顔・顔・顔のクローズアップの連続に面食らった(鑑賞後にカサヴェテス作品に通底する特徴だと知った)。本作ではスター女優のマートルが抱える「老い」への恐怖が主眼となるのだが、途中で「そんなに顔ばっか見るから老けが気になるんだよ!」と突っ込みたくなったほどだ。
 しかし、それは順序が逆なのだろう。少なくとも本作においては、顔面のクローズアップはマートルの老いる恐怖をこちら側の骨身にまで染みてくるほど高濃度にすることを助けている。マートルはスターという設定に見合って明らかに平均的な中年女性よりも若々しく、容姿も整っている。ただオーソドックスに彼女を映しても、その美が損なわれつつあることの恐怖は観客に伝わらないだろう。しかし、その執拗なまでのクローズアップによって、観客は大画面いっぱいに映る彼女の顔面を凝視せざるを得ず、段々と彼女の美しさよりもその端々にある細かな綻びの方に注目していく(させられる)。これはマートルの美しさが虚飾に過ぎず、接写に耐えられるものではないということとは違う。あるものがあまりにも丹念に描写されることで、その神秘性が剥げ落ち、同時にそこにあった美しさも色あせてしまうという現象なのだ。
 ここで、マートルの失調を招くきっかけとなった追っかけの少女・ナンシーが、事故死を遂げるまではあからさまに顔が映されず、その死後にマートルの失った美と若さの象徴のように堂々と出現することを思い返す。彼女は、その「匿面性」によってこそ美の化身となったのではないだろうか?老いを気にするが故に自分の顔を眺め、それによってさらに老いた気になる負のスパイラルの中のマートルにとって、顔もよく見えぬまま、死によって永
遠の若さを得たナンシーはマートルにとってあまりに神秘的で、あまりに自分とは対照的だった。だからこそ彼女は異常なまでにナンシーのイメージに固執し、苦しめられたのだ。経験を重ね、自分のことも他人のことも隅々まで分かることを人は成熟と呼ぶが、しかしその裏面は、あらゆるものから神秘性が失せ、もはや美しいと感じられない「老い」という絶望なのである。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集