褒めて伸ばすの最大リスク
どうも。ゆ〜せ〜こと田中優成です。
最近、生徒を殴ったり、叩いたりする教師はいなくなり、そんな教育は犯罪として処罰されるようになった。
一昔前、ぎりぎり私の世代もそんな教師、先生はいたのだが、今はほぼ皆無である。
もちろん、それは肉体的・精神的に傷つく人が少なくなったという点では社会的にも良いことだと思う。
このようになった要因としてら、時代の流れみたいなところがあって、コンプライアンスや法令遵守などの影響は大きい。
そんな今、怒る教師や先生というのはかなり0に近づいているのではないだろうか。
そして、その逆の褒める、厳密には対義語ではないが、ことにより生徒や部下を伸ばしていくというのが当たり前になりつつある。
私はたまたまそこの分岐点にいたので、両方を経験している。
中学校までは昔な感じで、高校からは大きく変化した。
この褒めて伸ばす教育になったことで、生徒や部下が肉体的または精神的に追いつめられることは無くなったが、私は良い傾向になったとは思っていない。
良いというよりむしろ悪であると考えている。
ここでは疑問を持つ方が多くいらっしゃるであろう。
それは、褒めて伸ばすことにリスクやデメリットなどのマイナス面はなさそうであるからである。
そのマイナス面というのは、単純に生徒や部下が嫌な気持ちにならないというところにある。
ここで、この褒めて伸ばすという教育が本当に生徒や部下のためになっているのかを考えてみよう。
褒めて伸ばすことのリスクというのは、依存による成長機会を奪うことになるところにあると私は考える。
この成長機会というのは、生徒や部下の成長機会のことを意味する。
依存というのが少しややこしいので解説させていただきたい。
ここでの依存というのは、「頑張ればこの人に褒めてもらえるから、頑張ろう!」と生徒や部下が考え、自分自身の人生ではなく、その褒めてくれる人の人生を歩み出すことになるのである。
要は、自分のために頑張るのではなく、褒めてくれる人のために頑張るに目的意識が変わっていくということである。
さらに褒めるというのは、完全に上下関係が決まっているという特徴がある。
つまり、おおむね親や管理職である、褒める人が上で、その生徒や部下である、褒められる人は下という構図になるということだ。
このとき、生徒や部下は自分自身が一人の人間であると思われていないと無意識的にも感じることとなる。
すなわち、褒める人が褒められる人の自立するチャンス・成長機会を奪っていることになるということである。
これからも褒めることのリスクを理解した上で、私も人を教育していきたい。
皆さまもこのコラムを参考に、褒めるという概念を改めて考え直す機会を作ってみてはいかがでしょうか?
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