人生で最高額の服を買った。正気を失いそう
人生で最高額の服を買った。これを書きながら正気を保とうと必死である。
買ったのはダウンだ。思えばこれまで私の人生の中で、ダウンはほとんど登場してこなかった。子どもの頃は親が着せてくれていたかもしれないが、記憶が曖昧なのでこれは一旦除いておこう。大人になってからを振り返ってみると登山用に着るダウンを一着持っている以外、通勤や街遊びなど日常使いできそうなダウンは買ったことがない、と思う。ちなみに登山用のダウンの色は黄緑。何かあったときを想定し「目立つ色がいいよ!見つかる色にしたほうがいいよ!」とアドバイスを受けて購入。気に入ってはいるものの、何せ私にとっては普段使いしにくい色で、しかも山は緑なのできっと埋もれてしまうだろう。なぜ黄緑にした。
そしたら毎年冬は何を着ていたのさ?というと、よくあるロング丈のコートや、フリースっぽい素材の上着を着ていた。当時の私はダウンに対して“マダム感”というイメージを持っていたり、着膨れして見えたりするのが苦手で手に取る気持ちが薄かった。手持ちの上着でなんとなく冬を越せてしまったこともあり、結果そのままずるずると今に至る。
しかし、年齢を重ねてくると数年前に購入した上着たちがしっくりこなくなってきた。昔より寒さを感じるようにもなり(寒い)(そろそろ上着を買い替えたい)と昨年の秋が深まったある日から強く思うようになった。もうこのままでは冬が越せそうにない。私が上着を新調するか考えていたのを見かねて、ある人は言う。
「ダウンにしたら?めちゃくちゃ暖かいよ」
ほほう、ダウンか。
「一着あれば冬のお出かけへのストレスが軽減するよ」
そうなのか。ダウンの機能性や、一着あればコートを何着も買わなくて済むなどの話を聞き、だんだんと気持ちが傾いてくる。ダウンにしてみようかな。寒いのは嫌だし、クローゼットもすっきりしそうだし。買ってみるか……!と、私はついに決意する。
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ダウンの価格はブランドによって大きく違う。予算や理想のデザインを考えながら探してみるが、希望のダウンを買おうと思ったら想像以上のお値段で「ふぎい」と声が出てしまう。ネットで検索したり、おすすめのブランドを周りに聞き試着しに行ったりと、ダウン探しの旅をする。マダム感が出ることや、モコモコになりすぎるデザインは避けたい。カラーは使いやすいように黒がいい。
「ふぎいふぎい」と言いながらぐるぐるお店を見て、試着をして、家で考えてみる。好みのデザインやブランドが見つかっていく。いくつか候補を絞ってみたが、やはり値段に何度も二の足を踏んでしまった。
なかなか決められなかったある日。いよいよ冬の冷え込みが本格化する頃、私はついにダウンを購入した!最終的に二着まで絞ったものの、デザインがそれぞれ違い猛烈に迷う。ダウンはすぐに買い替えないので「数年後はどんな女性になっていたいか?」という自問自答をして、未来像に合うダウンを選んだ。結果、大正解。
ただ、私は正気を失いそうである。これを書いていないと気絶しそうである。お会計を済まし、丁寧に包んでくれたダウン入りの紙袋を受け取る。「ありがとうございました」と温かく見守ってくださった(何回もサイズ違いを試着していた)店員さんにお礼を言いフラフラとお店を出る。そのままの足で喫茶店に駆け込み、ホットケーキを食べホットコーヒを飲みながらスマホを取り出しメモアプリに爆速で文字打ち、これを書いている。なぜか。書いていないと死にそうだからである。書かないと死ぬ、という感覚はこういうことなのかもしれない。
誰かにとっては一般的な服の値段だろう。きっとそうだ。あくまで私基準の金銭感覚にはなるが、間違いなくこれまで購入してきた服の中で一番高い。圧倒的に高い。家具やパソコンとは違い、服にあの金額だなんて。震えている。表示された金額を何くわぬ顔で払ったように見せてしまったが、あの瞬間の私は心ここにあらずだった。意識はどこかへ飛んでいただろう。
コーヒーをごくりと飲む。もはやダウンという存在にも震え始めている。単純に暖をとるための布なのに、高貴な存在すぎる。そもそもダウンとは何か、なぜ暖かいのかを改めて調べてみると、以下の情報が出てきた。
加えて「限られた水鳥しか採れない」「一羽から取れる羽毛の量が少ない」などの背景もある。機能性や採る背景を踏まえるとダウンが貴重な存在であることは分かる。よく分かるが、水鳥に対しての見方がぐるんと変わってしまい、ああ、文字を打つ指が止まらない。
私はカモやアヒル、白鳥などの水鳥が好きだが、これを書いているときは、迂闊に近寄れないほど高貴な存在に見えるようになった。(ダウンに使われている素材はブランドによって違うが、ここでは「水鳥」としてまとめて称させてもらおう)今まではカモやアヒルを眺めることを「鴨ルーティン」「アヒルルーティン」と自分の中で呼んでいて、にこやかに彼らの元へ近づいていた。しかしこれからは「鴨様の遊覧」「アヒル様のお披露目会」と呼びたくなってしまう。彼らは高貴な存在なのだから。私がふわふわと近寄っていいものではない。
すっかり冷え切ったコーヒーを飲み干す。一心不乱にスマホに文字を打ち込んだおかげか、買った直後よりも少し心が落ち着いてきた。ふうと息を吐く。高い服を買うのに慣れていなさすぎる。買った直後は「返品」という言葉が浮かんだほど正気を失いそうだったが、文章を書く作業は素晴らしい。今、一人の人間が戻ってこれました。
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それからすぐ、本格的にダウンを着用するようになった。一度の着用で寒さをまったく感じないことに驚く。上半身だけが無敵になり、これがダウンの力か……と空を見上げる。もちろん金額には震えるが、その金額だからこその機能性にデザインに感動している。冬に出かけるのがあまり億劫ではなくなり、むしろこのダウンを着たいから出かけたくなるほどになった。
あまりの機能性に私が今まで着ていたのはなんだったのだろうと家族に問いかけてみると、「厚手の紙だね!」と返ってきた。私は厚手の紙を着ていたようだ。世の中の人たちが皆ダウンを着る理由がよく分かった。暖かい。冬に最高の一着である。